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2006年6月20日 (火)

『Always 三丁目の夕日』

『Always 三丁目の夕日』

この映画は、昨年封切時に劇場で見て、今は購入したDVDを観た後これを書いています。

あの昭和30年代を子どもとして過ごした私たちには、おそらくこの映画は特別なものです。どうしたって懐古的なセンチメンタリズムに陥りますし、またそれら思い出の数々をやはりとても美しいと感じてしまいます(美しいだけじゃなかったはずなんですけどね)。まあ、懐古趣味とか過去の美化とかそしられかねないのですが、そう感じてしまうのはなんともしようのないことです。そして、なんと言っても過去50年近い時代の変遷ぶりのすさまじさを、ほぼリアルな映像を前にしながらゆっくりと実感できるのですから、その感慨はたとえようもありません。

この映画で鈴木オート社長こと鈴木則文(堤真一)は言います「もう戦争は終わったんだ」と。そして、ヒロミ(小雪)のやる飲み屋の常連の温水洋一がつぶやきます「もはや戦後ではない、か」と。

こういう言葉からもわかるようにやっと戦争のことを忘れかけ始めた時代、そしてもはやこれ以上不幸でつらくて惨めな生活はどうあったってあり得ようもないほどのどん底から這い上がり始めた時代、それがこの昭和30年代です。今から思えばおそらく日本全体が豊かさに向かって最も一致結束していた時代だったのではないでしょうか。そしてまた、その豊かさの達成を疑うほどの余裕さえなかった、それほど未来を信じきっていた時代でもありました。それが、世界でも驚愕されるほどの高度経済成長をもたらしたことは周知のとおりです。この映画では、それら「明るい未来」を支えようと懸命に努力していた家庭・地域社会の日常を映し出しています。

最初、劇場で観た直後の感想は、「とにかくよかった」ということでした。特別どれがいいとか、個別なものに対するものでなく全体丸ごとがよかったという感じでした。目に入るもの、耳に聞こえてくるもの、すべてが自分の子ども時代のあれこれと直接リンクして頭の中では二つの映像を楽しんでいるようなものでした。おそらく同じ思いで観た人は相当多かったのではないでしょうか。

そして、いい映画を観るといつもそう思うのですが「役者が実によかったなあ」ということです――まあ、本当はキャスティングや演出など裏方さんの賜物であることは十分承知のことなんですが。

まず「薬師丸ひろ子って、こんなにうまい役者になっていたんだあ」というもの。薬師丸の映画を最後に観たのは確か『南総里見八犬伝』以来のこと。先ほど調べたら1983年公開ですからもう20年以上彼女の映画を観ていなかったことになります。それから、堤真一の存在感とインパクトの強さ。三浦友和なんかもいつの間にか日本映画にはなくてはならないタイプの俳優さんになっていましたね。印象的だったのは、青森弁の新人・堀北真希、そして古行淳之介役の子役・須賀健太。おっと、もちろん主役ですからある意味当然という感じの吉岡秀隆(こういうとぼけた役もうまいものでしたね)、そして指輪のシーンで見事な演技力を見せつけた小雪も大したものでした。

それから、ドラマにリアリティを感じさせたのは人物の登場シーンにそれぞれ適切な重みがつけられ、また登場頻度にもバランスがとられていたことです。 通常、映画の場合、どうしても主役や準主役だけでシーンの大半が進み、脇役はほんとに仕方なくという感じのつくりをしていることが多いように思います。映画だからしようがない、とは思うのですがある意味それが現実離れした感じをどうしても作り出しています(もちろん、それで駄作になるというわけではありませんが)。

しかし、実際の人間社会では主役である自分を囲む人間関係は多様です。ちょっとしか目の前に現れなくてもとても重要な人だったり、ちょいちょい顔を見せるけど自分にはさほど影響がなかったりということが多いわけです。それを登場シーンの重み付けと登場頻度でバランスさせれば、かなり映画そのもののリアリティが出てくるはずなのです。それを意図したかどうかは知りませんが、この映画の人間模様は実によくバランスされていたように思われました。

たとえば……

この映画にはいろんな登場人物とエピソードが出てきます。もたいまさこのタバコ屋のおばあちゃん、彼女はストーリー上重要な意味は与えないけどよく顔を会わせるタイプの人間になっています。警官や郵便配達の職員などもその流れに組み込まれるでしょう。

一方、テレビが故障して「ああ、やっちゃった」と嘆く電気屋の木村祐一、電気冷蔵庫に商売を取られた氷屋のピエール瀧、ミュージックホールの支配人らしい益岡徹、不動産屋の松尾貴史、高円寺の和菓子屋・石丸謙次郎そして淳之介の父親役の小日向文世などそれぞれはワンシーンぐらいしか出ていないのに観客に与える印象はさまざまです。そして、登場人物の多さとその意味付けの多様さによって、この映画にある人間関係はわれわれの日常経験に非常に似通ったものとなっています。ですから、かなり現実感のあるストーリー展開を感じられる仕上がりになっていたと思います。

それからもうひとつ感じたことにシーンの長さがとても適切だったということがあります。いいシーンでも長すぎると嫌味になりますし、短すぎるとわけがわからなくなるのですが、この映画のそれぞれのカットの長さはとても適切に感じました。たとえば、小雪の指輪のシーンなども長すぎず短すぎず、余韻も十分でした。あのシーンの最後を茶川の表情で終わらせたのも適切だったように思います。

さて、以後はネタばれです。


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この映画はとにかく懐かしい場面の連続なので、その場面から思い出されるあれこれもそのまま書いていきたいと思います。そういう意味から、あらすじをそのままたどる形をとります。

冒頭からラジオの登場です。そう、昔私たちが物心ついたころにはまだテレビがなかったのでした。チューニングつまみを回しながらよく聞いたものです。

当時子ども向け番組は夕方6時から1時間程度でした。午後6時「子どもニュース」。6時5分から20分?まで「赤胴鈴之助」(「赤胴鈴之助」がドラマ終了してからは確か「まぼろし探偵」だったような記憶が……)。6時20分から35分?までが「ビリーパック」や「高丸・菊丸」だったかしら。もちろん正確なことはもう覚えていないんですが、6時5分から「赤胴鈴之助」が始まったのは鮮明に覚えています。夢中で聞いていました。

さて、一平たちが騒々しくも叫んで鈴木オートに入っていったあの言葉、「テレビ、テレビ」。そう、テレビが家にやって来た日というのは本当にとんでもなく特別な日でした。私の場合には、学校から帰ってきたらすでにテレビが設置されていて、早速何でもいいから見てみようとして観たのですが、後で考えるとオードリー・ヘプバーンの『尼僧物語』でした。珍しいだけでストーリーも意味も何もわからないままじっと見つめていたのをよく覚えています。このころは、NHKの「事件記者」が人気番組でしたが、私の家ではそれはあまり見ず「日真名氏飛び出す」という番組をよく観ていました。

戻りましょう。それにしてもタイトルが出る模型飛行機のバックに広がる青空、何だかあの時代の楽天的な気分が象徴されていて素敵だったですね。当時の、これからはどんどん世の中はよくなるんだ、と信じきっていたそんな時代の青空に見えました。上でもちょっと述べたように、戦後が薄れつつもまだまだ戦争経験が生々しく残る時代でしたから、もう悪いことはご免だし、またこれ以上悪くなるはずがない、とでも言うようなそんな一種の開き直った楽天的な気分・空気があったようにも思います。

さあ、物語は集団就職の学生を運ぶ列車――電車ではなく汽車です――の中から始まります。ほっぺを真っ赤にした青森の中学卒業生「六子」(堀北真希)が登場です。原作漫画では男の子でしたが、今回の映画化で女の子にしたようです。昔なら女子の自動車修理工は考えられないことですが、今の時代だからこそそれほど違和感なく見られます。

一方、芥川龍之介ならぬ「茶川」龍之介(吉岡秀隆)の登場です。売れない小説家で駄菓子屋を経営しています。「スカ」の籤(くじ)も懐かしい一品でしたが、私はあの腰手ぬぐいの姿が化石を見るような懐かしさでした。

おっと、今度は新しくこの町にやってきて飲み屋を開いたヒロミ(小雪)が出てきました。なにやら昔の知人(劇場支配人)から、昔の踊り子仲間が産んだ子ども、淳之介(須賀健太)の面倒を見るように説得されています。 もちろん、この時代にも悲劇がたくさんありました。それこそ掃いて捨てるほどあったはずでした。このシーンでも早速子捨ての物語が語られています。

しかし、昨今の悲惨な事件とはまったく様相も雰囲気も違う印象を受けますね。この映画のように、そんなかわいそうな子どもがあれば、誰かが面倒をみなきゃあとあちこち駆けずり回る人がきっといましたし、またそれが嫌でもしぶしぶ受け入れる人が確かにいたわけですから。何より行政で何とかしようという発想もまだ薄い時代、つまり国にお金もない時代でした。だから一介の私人たちがそういう役割を果たしあっていた――まさに地域社会で助け合っていたという、そんな時代の気分がやはりうかがえます。

場面変わって、集団就職の列車が到着した上野駅です。六子を受け入れる鈴木オートの社長(堤真一)が駅まで迎えに来ています。このシーンはほとんどがCGらしいのですが、雰囲気はよくでていましたね。が、残念なことに服の生地の質や身のこなしがやはり当時の感じからはちょっとかけ離れていたように思います。

ついでに言えば、子どもたちが遊ぶシーンでも感じたのですが、当時はあんなにこぎれいな子どもたちは少なかったことです(もちろん、一生懸命ランニングシャツなど汚したり、ズボンにツギをあてて工夫はしていましたけど)。青っ洟(あおっぱな)をすすったり、洟(はな)をこすってテカテカに袖口が汚れた子どもたちが何人かは必ずいたような時代ですからそれを再現するのは大変でしょうし、またそこまでする必要もないということでしょう。それにしても、最近は本当に洟をたらした子どものいないこといないこと、時代の変化はこういうところに大きくあらわれているんですよね。

いよいよ六子の住み込みの生活が始まります。昔はほんとに住み込みの働き手があちらこちらにいたものですが、最近はめっきりそんな話を聞くこともなくなりました。いまや、独身寮とかの時代ですからね。

小雪の飲み屋です。向かいには「サントリー・バー」でなく、「トリス・バー」があります。 この飲み屋に流れる歌は、耳慣れた覚えがあります。そう春日八郎や大津美子らの歌です。このころは、こういう歌を演歌でもなく、もちろんポップスでもない、単に「流行歌」と呼んでいた記憶があります。まだ、歌も未分類状態だったのかもしれません。

ここで、この映画では重要なプロットになる淳之介を茶川が引き取るという出来事が起こります。そして、次の日に後悔した茶川はあわてて小雪の店に返しにいこうとしますが、留守です。そして、帰り道の場面。

茶川は何とか追い返そうとしますが、うまくいきません。ここで注意したいのは、近所のおばさん――割烹着を着ていました――がじっと二人の様子をうかがっているところです。冒頭の模型飛行機を一平たち3人の子どもが飛ばそうとしているシーンでも同じでしたが、この当時は近所のおじさん、おばさんは町のいたるところで、子どもたちの様子をそれとなく見ていたんですね。それがだんだんうるさく感じて、田舎を離れて東京などの都会へ向かう若者が増えていくわけですが、もちろん町の人たちは単にそっと見守っていただけだったのでした。

さあ、これで材料が出揃いました。いよいよドラマが展開していきます。

六子の自動車修理の腕がまったくないことに則文社長は我慢がならず怒りまくります。方や、六子も何で怒られるかわからないため逆上して口答えにおよびます(上京したての田舎娘にしてはずいぶん気の強い娘です)。

「自動車会社というのにこれじゃ小さな自動車修理工場じゃないか」と。

ここで顔を真っ赤にして怒る堤真一のゴジラシーン(と言うようです)はなかなか見ごたえがありました。何だかありし時代の頑固親父のイメージを彷彿させてくれましたし、戦後、裸一貫で事業を立ち上げてきた当時の復員市民の心立てがうまく演じられていたように思います。余談ですが、ここで堤の体を止めに入った薬師丸が、急に堤が自宅に戻ったため、つんのめるシーンがあります。これは薬師丸のような美人女優にはまるで似合わないし、まためったに見られない姿だったため、個人的にはすごく可笑しかったです(笑)。

さて、扇風機に向かって声をかけ震える声を楽しむ一平。これは誰しも一度はやったことがあるはずです。そして小学生の夏休みの定番、昼寝。なんだかゆったりと時間が流れていたんですねえ。そういえば、子ども時代の夏休みは遊んでも遊んでもなかなか夕方にならないような、ほんとに遊びつかれてしまうということがあったように思います。

ところで、どうも六子は故郷に帰りたくないような様子です。先ほど、押入れの中で社長とけんかしたときも「国に帰れ」と言われて「おら、帰る場所なんかねえ」とか言っていましたし、いまは社長から「盆くらい帰ったらどうだ」と促されても「いいです」って。なにやら事情があるようです。

夏休みの登校日に、偶然から淳之介の小説の才能が明らかになります。一平たちが一斉に彼の小説のファンになり、こうして彼も学校で受け入れられる存在となりました。そして、この才能にもう一人気がついたのが、ほかでもない茶川。こうしてストーリーはどんどん進みます。

淳之介の原案を元ネタにして書いた茶川の作品が新しい少年雑誌に掲載され、一平たちはすぐに淳之介の作品の盗作だということに気づきます。しかし、淳之介の反応は意外なものでした。自分のネタできちんとした小説にしてもらって、それが活字になったことにものすごく感動していたのです。この気分はわかるような気もします。小学生の考えたストーリーが活字になる、それだけでもとてつもないことですから当時ならなおさらです。ごく自然な展開として観ることができます。

さあ、いよいよやって来ましたテレビの登場です。あんなに大勢の隣近所が集まってテレビを囲むというシーンは体験したことがありません。でも子ども仲間で近所のお金持ちの家にテレビが入ったため、その家の塀に上って庭越しにその家のテレビを見ていた記憶は鮮明にあります。そんなことを繰り返していると、その家に迷惑だから無理しても「我が家にもテレビを買うか」となるわけです。そんなこともあって、あのシーンの気分はよーくわかります。そして、当時誰もがいちばん観たかったのは、映画にもあったように力道山の空手チョップしかありません。ついでにルー・テーズ、シャープ兄弟、ミスター・アトミックなどいろいろな名前が自動的に思い出されてきますね。少し時代が下ってブラッシーなんていう銀髪の噛付き屋もいましたね。そうそう、当時は相撲の人気もものすごくて、栃錦と初代若乃花の取り組みなどは、ちょっと大げさかもしれませんが今のワールドカップ並みの扱いだったように思います。

映画に戻ります。テレビの大騒ぎもいっときのこと、すぐに故障してしまいます。 この監督はつくづくカット割りのうまい人だなあと思います。この力道山を観るシーンも、あのまま長く続けられるものではありません。故障ということにして、もう次のシーン――腐ったシュークリームを食べた六子の腹痛シーンにつなげています。見せたいシーンはきちんと見せる、しかしそれを長く引っ張りすぎずにどんどん次につなげる、この辺によく練られたものを感じます。

そして、三浦友和の宅間先生のエピソードが挟まれます。このシーンは実にしみじみとした感慨がありました。ここの奥さん役の麻木久仁子にしても、子役の女の子にしても、たった十数秒間しか出てこなかったのでしょうがものすごく印象に残りました。思い出すだけで泣けてくるシーンでもあります。

お父さんを喜んで迎える子どもの姿、それはどの家庭にも普通に見られた光景だったように思えます。でも、それは酔いの戯れでした。あの警官――いや当時は「巡査」と呼ぶのが普通でしたが、あの巡査が宅間先生に語ったように、昭和30年代ではまだ「たぬき」に化かされるというようなことが平気で日常世界に語られていたのでした。もちろん、迷信だ、と学校では教えられていましたが。もっとも、ここのシーンは宅間先生の家族の悲劇をよく知る巡査が、それとなく「狸に化かされた話」ということにして助け舟を出したとも考えられますね。

高円寺の和菓子屋「藤戸」に淳之介の母をたずねて一平と淳之介が都電に乗ります。母はいましたが、結局居留守をつかれて手ぶらのまま帰るしかありません。都電の帰り賃もない二人は途方にくれてしまいます。でも、一平の母がセーターのツギ当ての下に隠したお金を見つけて何とか無事に帰宅できることになりました。どうということのないよくできた話のパターンのひとつではありますが、淡々とした話の展開が心地いいです。

さて、ヒロミが茶川に、淳之介と一緒に3人で暮らそう、と提案するシーンがあります。でも、自分の立場にはっと気がつきすぐに冗談だと笑ってごまかすシーンです。小雪が結構うまいな、と思ったはじめてのシーンでした。その後の指輪のシーンも含めてさすがに主演女優賞の演技力を見せてくれましたね。

一平の家に富山の薬売りがやってきて置き薬を置いていくシーンがありました。これももう今の時代にはない光景ですね。えっと、何でしたっけ、「越中富山のハンゴンタン」とか言って遊んでいたような気がするのですが、あの「ハンゴンタン」って何だったんでしょう? 今、考えると「タン」は仁丹の丹でしょうが、「ハンゴン」がわかりません。ひょっとして「反魂丹」でしょうか、とすると生き返る薬? ご存知の方はいらっしゃいますかね(笑)。

そして、ここから長いクライマックスの連続シーンが始まります。

クリスマスの日に、宅間先生のサンタクロースによって万年筆がプレゼントされ大喜びする淳之介、これは一番目のクライマックスでしょう。子どもの喜ぶ姿のためにどれだけ世のお父さんたちが励まされ、日々の仕事に耐える力をもらっているか、そんな思いを象徴する場面でした。もちろん、鈴木家でも一平と六子の二人にそれぞれプレゼントがそっと枕元に置かれます。

二番目のクライマックスは、ヒロミに茶川がプロポーズする場面です。ここのシーンが感動的に成功したのは、箱だけしか差し出せなかった情けなさをグダグダ言い訳している茶川の言葉をさえぎり、

「付けて!」

と反応したヒロミの決然とした姿にあります。そして「その…、いつか買ってくれる指輪、つけてよ」という言葉が続けられたとき、ともすれば陳腐で臭い芝居にしかなりえなかったこの脚本を、美しい情趣あふれるシーンとして立派に成立させていたのでした。

三番目のクライマックスは、六子が青森へ帰る決心をするシーンでしょうか。

一平の家では、大晦日に大掃除が行われています。障子の張替えも今は普通の家庭ではまず見かけなくなった行事ですね。それはともかく、せっかく社長の親心で正月には里帰りさせようと切符をプレゼントされた六子ですが、どうもあまり喜んでいないようです。そして、汽車の時刻が間近に迫ったときついに六子は切符を返しにきます。子沢山の実家から自分は追い出されたと思い込んでいたのですね。

しばらくして薬師丸が六子の母から届いていた手紙の束を持って六子の部屋に入ります。そして「子どもの顔を見たくない親などいない」と説得するのです。その証拠として、「里心をつけて甘えさせないためにこの手紙も見せてくれるな」、また同じ理由から「六子からの手紙に返事も出さなかった」という母の想いをつづった手紙を見せます。ついに氷解した六子はようやく青森に行く決心をするのです。この親心がつづられた手紙を読むシーンもクライマックスに入れていいでしょう。

さあ、鈴木家全員が六子見送りのためダイハツミゼット――大村昂ちゃんのCMを思い出すなあ――に乗って上野駅へ向かいます。

一方、淳之介を探し続けていた実の父親(小日向文世)が突然登場します。実は成功した実業家でした。そして、淳之介を高級車に乗せて連れていきます。

こちら茶川は、深い敗北感と喪失感にショックを受けています。たまらず部屋の中で暴れ回っているうちに、淳之介が書いた置手紙に気づきます。それを読み、淳之介への愛情を再度自覚した茶川は思わず大通りまで走って後を追います。追いつくはずもないのですが、そうせずにはいられない、そんな思いを表現しているようです。

ところがです。なんと淳之介が向こうからやってくるではありませんか。そう、彼もいたたまれず戻ってきたということでしょう。もうこの辺から不自然さが相当あり、突っ込みどころ満載なのですが、それ以上にわれわれ観客も予定調和に向かいたいという感情的欲求が強くなっていますので、もはやそんなことはどうでもよくなっています(笑)。そして、二人は赤の他人だからこそのつながりを確認し合うのですが、おそらくまた一緒に暮らすことになるのでしょう。

さあ、最後のクライマックスです。これもまずあり得ないんだけど、やはりもうそれはどうでもいい(笑)。鈴木一家の乗ったダイハツミゼットが土手沿いに走り、六子の乗る列車と並走します。そして、お互いに声を掛け合うのです(おいおい、そんな声なんかお互い聞こえないだろう!)。

「よいお年を!」

いい言葉ですねえ。こんなにいい言葉だったとは思いませんでした。毎年年末になると、さほど大きな思いいれもなく使ってきた言葉ですが、とてもすばらしいニュアンスを持った言葉であることに気づかされました。 そして、土手の上で夕焼けを見ながらのシーンです。

母「きょうもきれいな夕日ね」

父「きれいだなあ」

一平「当たり前じゃないか、あしたもあさっても50年後も、夕日はずっときれいだよ」

母「そうね、そうだといいわね」

父「そうだといいな」

なんでもない普通のこんな会話が、とても含蓄のあるせりふとなっていました。そう、50年後の今、私たちの見る夕焼けはきれいでしょうか。ちょっぴり考えさせられます。

そして、そして堂々の……

ジャーン!! ここで美しい夕映えの中に佇立する、完成したばかりの東京タワー

 

めちゃくちゃきれいな画面でしたね。終わりが美しいので、すがすがしい気持ちで映画館を後にすることができました。

この映画をつくった山崎貴監督は、私はこれがはじめてでした。でも、インタビューに答えて「『この映画を親に見せたい』と言ってもらえたときが最高の喜びを感じます」と語っていました。素敵なコメントです。

そして、最後に忘れていけないのは音楽です。佐藤直紀という人ですが、とても控えめながらも余韻の残る音楽の数々でした。とくに冒頭の模型飛行機の上がるシーンとラストシーンの夕焼けのシーンの音楽はとてもぴったり来ていて感動をいっそう盛り上げてくれるものでした。

それにしても、充実の2時間余を過ごさせていただきました。多謝。

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