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2006年8月20日 (日)

『バタフライ・エフェクト』

ある方の薦めで『バタフライ・エフェクト』を観た。この題名はカオス理論で言われる、日本ではもっぱら「バタフライ効果」として知られる術語である。「北京の蝶の動きが明日のニューヨークの天候を変える」とか言われるあれで、要は、どんなささいな変化も距離や時間が経過するとその影響は多大なものとなるというほどの意味であろうか。でも、この映画はあえてそれを言うほどのものでもなく、単純なタイムスリップものだったように思う。バタフライ効果をことさらに謳うのであれば、ほんとにささいな変化の結果に焦点を当てるべきで、この映画のようにかなり明確で大きな変化では、この題名にふさわしいとは感じられなかった。

(以下、ネタバレ)

【あらすじのようなもの(私の解釈含む)】
この映画は、主人公エヴァンの7歳と13歳のときに起きた事件を20歳のときに事実変更することをキーにして展開するので、まずそれらを順に整理しておこう。

映画の進行上では「記憶がない」とされるシーンであるが、それらを順に並べてみた。なお、[事実は……]という記述は、後のシーンで明らかにされる事実をメモしている。

<7歳>

・7歳の小学生エヴァンの父兄参観日。母親が放課後に学校を訪れると担任教諭からエヴァンが「将来の夢」というテーマの絵を描く課題でナイフを手に殺人を犯している絵を描いたことが先生から告げられる。ただ、このことを先生がエヴァンに尋ねると、描いた記憶がない、と答えたという。

[事実は、確かに殺人の絵を描いていた。]

・ケイリーの家に遊びに行こうとしていたときに、エヴァンがキッチンで包丁を手にして突っ立っているところを母親は発見する。エヴァンはまたしてもその自覚がなく記憶がない。

[事実は「どうやれば壊れるのかな」と独り言をいいつつ、包丁を手にした]

・遊び仲間だったケイリーとトミーの父親がロビンフッドの映画を撮るということから、エヴァンも参加した。そして、地下室でケイリーとエヴァンの2人は裸にさせられる。その後、どうなったのか記憶がない。

[事実は、この父親が変態親父で、あろうことか自分の娘のケイリーとエヴァンとのセックスシーンをビデオに撮ったのだった。]

・エヴァンの記憶障害が父親のいないことに起因しているかもしれないという医者の薦めもあり、ついに父親ジェイソンと面会することになった。しかし、病院で面会しているうちに、またも記憶喪失となる。そのときに父親から首を絞められ、その父親は取り押さえられる際、過って職員になぐのり殺されてしまった。

[事実は、どういうことが起きたのかが後になってもわからない。]

<13歳>
・ 郵便受けにダイナマイトを仕掛け、その爆発を見ようとしたが、ちょうど間が悪く仕掛けられた郵便受けを確認しようと、持ち主の若い母親と赤ちゃんが近づいた。エヴァンらはぐずぐずとその場でみていたが、その爆発の瞬間だけエヴァンには記憶がない。

[事実は、その若い母と子は爆殺された。]

・ケイリーの兄トミーがエヴァンの飼い犬を袋に詰めて焼き殺そうとしているところに出くわし、それを止めようとするが殴られて気を失ってしまう。気が付いたときには、犬は焼殺されていた。ここでは記憶喪失ではなく、殴られることによる意識喪失なのだがあとでは記憶喪失状態と同じ意味をもって扱われる。

<20歳>
・ ちょうど二十歳の誕生日に、大学生となっていたエヴァンが13歳からの7年間に一度も記憶喪失がないことを喜ぶ。ところが、ふとしたきっかけから古い日記を読み直してみたところ、その内容から記憶が飛びなんとタイムスリップしてしまった(この最初のスリップは、あの犬の虐殺シーンだった)。つまり、古い日記内容からタイムスリップすることができることを発見する。ただしタイムスリップするのは自我意識のみなので、体はその当時のままである。

さて、20歳となったケイリーを発見して地下室でのビデオ撮影時、何が行われたかについて確かめようとしたところ、ケイリーのトラウマに触れることとなり、会ったその日の晩にケイリーは自殺してしまう。

ここから、過去に干渉して人生を変えようとする一連のドラマが始まる。

●エヴァンは、日記がタイムマシンとなることに気づいたためケイリーを自殺から救おうとして、あの地下室での出来事をつづった日記をもとにタイムスリップする。そして、今度は二十歳のエヴァンの意識でケイリーの父親と対峙し、見事に忌まわしいビデオ撮影からは逃れることができた。

すると、本来あったストーリーから違った歴史の20歳までを頭の中で経験されて前の自我のまま新しい経験と一緒になったエヴァンができあがる。地下室のビデオ撮影はなかった、という歴史を持つ世界の20歳ではエヴァンとケイリーは恋人どうしであり、幸せなカップルとなっていた。

ところが、生来性向の悪いケイリーの兄トミーは、(おそらく動物虐待のため)少年院行きとなっていた。彼は、エヴァンとケイリーとの仲を裂こうとつきまとい、ついにエヴァンになぐりかかる。エヴァンは応戦し、過ってトミーを殺してしまう。

逮捕され服役した刑務所で、エヴァンはまたもや日記をもとにしてこの境遇から逃れようとして、母親に日記を持参するよう依頼した。しかし、たった2冊しか差し入れられなかった。そのうえ、その2冊さえ服役囚の悪ボスに取られてしまう。 日記を取り戻すために、悪ボスの2人と交渉するふりをしながら、2人を刺すとすぐに2冊の日記を取り戻し、行きたい過去――トミーが少年院に行かなくて済み、自分が過ってトミーを殺さなくてもすむように、あの犬を焼殺するシーンにタイムスリップする。

犬を焼殺するシーンに戻ることに成功。しかし、念のため犬をつめた袋のロープを切るためにケニーに刃物を持たせたことが誤算を招くことになる。20歳の意識でこのシーンに戻ったエヴァンは、犬を焼殺させまいと、そしてその結果としてトミーを少年院に行かせまいとして必死に説得する。その結果、トミーはおとなしくエヴァンの言に従う。

ところが、このときケニーが後ろから刃物でトミーを刺してしまった。犬の袋のロープを切るためだったのに大誤算となってしまったのだ。トミーは死亡して、ケニーは精神病棟に拘束されてしまう。そして、そういう歴史を持つ20歳の世界に戻った。

●病院で脳ドックを受けると、エヴァンの脳には1年前に比べて40年分の記憶を詰めた脳細胞が出現していることが明らかになる。つまり、ケイリーの自殺を防ぐために新たにつくられた歴史の記憶と、トミーが少年院に行かないようにするためにつくられた歴史の記憶である。それぞれ20年分あるから、かける2で40年というわけだ。

●さて、日記をもとに過去に戻れる能力は父親譲りのものだとわかり、正しいやり方を知るため今度はあの父親との面会日にタイムスリップする。しかし、今度は父親がその能力を使うことを禁じる。そして、その場で父親はエヴァンの首を絞めて殺そうとしたのだ。これで、このシーンは、最初どういうことで殺されそうになったのか――なぜ7歳の自我でのエヴァンが殺されそうになったのかは不明のままとなった。

さて、追加された40年分の記憶を持つエヴァンだが、トミーがケニーによって殺された世界では、ケイリーがどうしているか気になり、その消息をついに捜し当てる。彼女は場末のストリッパーとなっていた。そしていかにも荒れ果てた生活ぶりに、ケイリーがエヴァンともっと幸せな生活を送れた世界のことを話す。しかし、ケイリーは怒って、郵便受けの事件であの母子を救えばいいじゃないかと捨て台詞をかけて去る。

●ついに、エヴァンはあの忌まわしい事故――郵便受けの若い母と赤ちゃんを救うためにタイムスリップした。そして、母子が郵便受けに近づくのをとめるために2人に近づき、みずからは郵便受けのそばに寄る。また、トミーは2人を直接体を張って制止する。 ダイナマイトは爆発してエヴァンは両手を失ってしまった。

この郵便受けの爆発で母子を救った世界では、エヴァンは身体障害者となり、車椅子の生活である。そして、ケイリーはケニーをパートナーとして選んでいたし、トミーはあの事件で人を救って以来、信仰心に目覚めた結果いまでは聖職者となっていた。そういう歴史を持つ世界に来たため、都合60年分の追加記憶を持つことになった。 ところが、この世界では母親が肺がんになっていた。

ショックを受けたエヴァンは、この世界も変える必要があると感じ、また日記を広げる。 そして、タイムスリップ先にしたのはまたしてもあの地下室だった。

今度はダイナマイトに火をつけてケイリーの父親を脅すのだが、ダイナマイトが転がりケイリーがそれを拾ってしまった。そして、爆発(暗転)。

気づくとある精神病棟の一室にいる。この部屋から出るとすぐに日記を捜すのだが、主治医はそんな日記はないと言う。日記を使ってタイムスリップすることにより、ケイリーを殺してしまった罪悪感から日記のない世界にタイムスリップしてしまったのだ。 さあ、これではタイムスリップによりこの世界から逃れる術がない。

焦ったエヴァンはどうにかして過去を記録しているものがないか考えあぐねていると、主治医から同じ能力を持つ亡き父親が、アルバムを捜していたことを知る。ヒントをつかんだのだ(彼の父親は、写真でタイムスリップしていたようだ)。

さて、最後の頼みの綱としてホーム・ビデオを母親に依頼していた彼は、あしたには病院を移転するという最後の晩に、このホーム・ビデオを見ることによってタイムスリップするという賭けに出た。この場面は、映画の冒頭シーンと重なっている。 果たして、ホーム・ビデオでも過去にタイムスリップできるのか?

成功した。

最初にケイリーと出会ったときのムービーだった。そして、タイムスリップしたエヴァンは、幼いケイリーに向かってこう告げる。

「そばに来るな。近づいたら、家族みんな殺してやるぞ」

そして、20歳の自我意識のエヴァンは、そっとつぶやく。「さようなら」と。

さて、この歴史を持つ20歳の意識に戻ってきたが、そばにいたのは大学生のケニーだ。彼にエヴァンは尋ねる。「ケイリーはどうなった?」と。

ケニーは、「だれだ、それは」と逆にいぶかる。そう、ちゃんとエヴァンとケイリーは「さよなら」できたのだった。そういう世界の20歳に戻ってこられたのだ。今度の新しい記憶のなかではケイリーは初恋相手のエヴァンに嫌われたと思ったため、両親の離婚の際、母親のもとにいくことになりエヴァンとの接点はなくなってしまったのだった。

プレ・ラストシーンは古い日記類を焼却して、この新しい歴史を持つ世界、ケイリーとは離れ離れになったけど彼女を救うことができたこの世界に生き続けようとするエヴァンの姿を映して終わる。

ラストシーン。

ニューヨークのオフィス街、たまたま通りすがりの中にケイリーの面影を見つけた彼は少し立ち止まるが、そのまま歩き続ける。

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【感想】

さて、感想だが、私はこの映画をあまり評価しない。なんというか、時間旅行による人生をただもてあそんでいるという感じが強過ぎてちょっとなじめないのだ。それによくわからないところも残されたままである。本来にあった事実と変更されたことの関係が不鮮明なところもある。

とくにキッチンで手にした包丁を持つときの「どうやれば壊れるのかな」というせりふとか、父親が記憶に関するあることができるようになったと母が語るが、これが何を意味するのかが最後まで明らかにされない。意味ありげなせりふにしては、その後ヒントさえ明示されないところがなんともいぶかしい。

また、記憶喪失になるシーンは、必ず後で20歳のエヴァンが戻ってくるシーンとなっている。つまり、逆に考えると未来からやってくるシーンに干渉されて、そのとき現在の記憶が喪失するという設定のようにも思われる。

これは、過去から現在、未来に一方向に流れるとする現代の常識に反するのだが、こういう可能性は考えられていいかもしれない。そう、未来という世界から現在の自我意識に干渉することにより、現在の意識が変性させられてしまうという可能性だ。その結果が、この映画にある記憶喪失現象ということになる。

そういう設定であれば、最初からエヴァンの人生はどこに戻ってくるかが決まっている人生であり、過去と20歳とを交互に乗り入れするすべてが完結しているはずである。そうでないと彼の人生が成り立たないということになる。これは、まあ理屈の上としてはあり得るのかもしれないが、あくまでそれ以上の意味を持てないし、少なくとも私にはあまりおもしろいテーマとは感じられない。

結局、自我が過去と現在を行き来することによってどんなストーリーが可能かの実験ドラマというだけであり、イルマーレのような詩情性あふれる美しさがあるわけでも、時の迷宮の不思議さをフィーチャしているわけでもない。とりわけこの映画の語りたいものがほとんど感じられないのは私にとって致命的につまらない。

まあ、あえてテーマらしきものを捜すとすれば唯一「人を救う」ことがどんなにはた迷惑なことか、ということだろうか(笑)。救済意識で為された行為にろくな結果はもたらされない、というメッセージだけははっきり訴えられた映画だったのかもしれない(最後の最後だけは一応ハッピーエンドになっているのがちょっと不徹底だった気もしますがね)。

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