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2007年5月16日 (水)

『虹の女神』

この映画はネット上では絶賛する人が多いようです。ですから私も期待して観たのですが、私の評価はイマイチでした。よくあるように期待しすぎだったのかもしれません。もちろんあくまで私個人の見方ですからかなり偏見があるのはいたし方のないことです。

この映画に対する難点は2つ。一つはハッピーエンドでないこと。もう一つは ストーリー展開あるいは演出に疑問をかなり感じてしまったことです。

ひとつ目のハッピーエンドでないのは、これはストーリーそのものですから仕方のないことです。ハッピーエンドでないのにすごくほのぼのとさせてくれて後味が決して悪くない映画もあります。例えば私なら韓国版『八月のクリスマス』(私の感想はこちら)を挙げます。そのほかにもアンハッピーエンドの映画はたくさんありますから、それ自身について注文をつけるような性質のものではないでしょう。ですから、ここでは主に2つ目の問題点を中心に感想を書いてみます。

実は、この映画の前に『幸福のスイッチ』(私の感想はこちら)という極めて自然な脚本・演出の映画を観てしまったので、そのせいもあってか特にこの映画を不自然に感じることになったのかもしれません。

ただし、俳優陣はなかなか皆さん好演していましたね。とくに上野樹里、蒼井優という私の注目女優はもちろん期待どおりでしたし、市原隼人のナチュラルな演技、出番は少なかったのにきらっと光った小日向文世、そして会社の上司役の佐々木蔵之介あたりもなかなかよかったのではないでしょうか。

したがって、総合的にわたしは熊沢監督の演出・編集に疑問を抱いているのかもしれません。全体につくり込みの仕方が、撮りたい絵がまずあって、それに合わせるというか、こっちのほうが絵がきれいだから、こっちの言い回しのほうがぐっと来るからというようなものが優先されて、その分どうしても自然な構成が犠牲にされていたように思うのです。

章立てで映画が進むので章ごとに追ってみます。

ここからネタバレ注意!


第1章 水平の虹
場面はある若手アーチストのプロモーションフィルム?の撮影現場から始まります。制作会社の現場の下っ端としてこき使われる岸田智也(市原隼人)のようすが映し出されます。
そんな仕事の合間のひとときに智也のケイタイに一本の電話がかかってきます。それと同時に部屋のテレビが臨時ニュースを伝えて、電話とニュースの内容は一致していたのでした。 アメリカに行っていた佐藤あおい(上野樹里)が航空機事故で死んだというニュースがそれです。そして、かつて上野の上司でもあった樋口(佐々木蔵之介)と智也はすぐ一緒に上野の実家に向かうのです。

実家では、知人・親戚等が集まっていましたが事故の起きたアメリカまであおいの両親と妹のかな――盲目の少女――が成田まで行く寸前でした。そこで、智也は樋口の言いつけでこれらあおいの家族3人を成田まで車で送ることになります。

成田のゲート入り口で智也は家族を見送ります。ところが、しばらくしてかなが智也のところまで来て一緒に行こうと懇願してくるのです。智也は当然「そんなこと、無理だよ」と言うしかありません。そうこうするうちに父親(小日向文世)もかなのいないことに気づいたのか、二人のもとに戻って来ます。そして、かなに向かってこう語るのです。

「飛行機が怖いのか、大丈夫だって。2回も家族が死んだ家族なんて聞いたことないだろ」

そして、なかなか動こうとしないかなに向かってついにはこんなことまで言うのです。

「あ、あれか、あれするか、引っ越すか? みんなで飛行機に。一緒に墜落してお姉ちゃんとこへ行くか?」

すごいせりふでしたね。最初はちょっと冗談めかしたような表情と口調だったのに、実は長女の死に精神的にかなり参っている父親の心情を思わず吐露してしまったということなのでしょう、なかなか見事な小日向の演技だったように思います。そして、かなの泣き声も実にうまく調和していました。

さて、ここまでが第1章のあらすじです。ここは、導入部ですからとりたてて述べることもありません。そして、この章の最後で智也の回想シーンらしきものが出てきたことから、どうやらこの映画は過去にさかのぼった時点からの物語らしいと観客に予告します。そして、それが第2章から始まります。

第2章 ストーカー時代
レンタルレコード店に働く久保サユミ(鈴木亜美)のストーカー・岸田智也(市原隼人)が、サユミの同僚で学生アルバイトの佐藤あおい(上野樹里)を仲介として何とかサユミに近づこうとする。しかし、あえなく失敗。しかし、仲介の労をとってくれたあおいに対して、あおいがつくる映画づくりの資金にと1万円をカンパする。

まあ、こういうストーリーのようですが、どうにも腑に落ちないシーンが幾つかあります。

まず、サユミのストーカーと言いながら、あれだけあおいにしつこくつけ回す智也の姿って何なんでしょう。彼がサユミに近づいてよりを戻そうとするシーンがまったくなかったため、サユミのストーカーという設定にちっとも真実味が感じられませんでした。ですから、最初に観たときにはむしろねらいは佐藤あおいにあって近づいたんだろう、くらいにしかどうしても思えませんでした。 コグレレコードのシーンの前に1~2分でいいから、サユミにしつこくつきまとう姿のシーンが入ればそれなりに説得力があったのかもしれません。

いや、それよりも市原の演技が、ここでは最初からあおいに対してアタックしているような目線や接触の仕方をしているように感じられたことがいちばんの原因のように思います。サユミとの恋のためにあおいを利用しようとしているという感じをもっと出してくれれば、別にこんなことは感じでないで済んだのでしょう。

市原は、ときに滑舌が悪いこと(DVDだったからかもしれませんが)と、そしてこの第2章の演技については感心できませんでした。しかし、その他の章での演技はいかにも今風の若者らしくつぶやくような話し方や屈託のない自然な表情など、なかなか好演していたと思います。

それから、いくらサユミとの仲介をしてくれたからといって、あおいに対して「君には一生ついて行くから」というせりふには相当の違和感を感じました。最近の若い人たちはこういう冗談めいたことをサラッと言うのかもしれませんが。また約束によって1万円を払ったのはいいとして、女性の左薬指に一万円札でできた指輪をはめるという行為もどうなんでしょうか。これらのシーンからは、すでに智也はサユミよりもあおいに恋をし始めているのではないか、そう考えられても仕方のないような演出だったように思うのです。

ところがこの第2章の時点では、智也は1年以上の時間をかけて彼のストーカーだったサユミと接してきており、ついには情にほだされてサユミに執心しているはずです。それゆえ、あおいに対してはまったく恋の対象として見ていなかった――イヤ見られなかったと考えるのが普通のように思われます。だから、そういう男がなぜこんなことを言ったり、指輪をはめたりするのか、不自然に過ぎると思ってしまったのです。女運が悪いなどとぼやく智也が、実はだれにでも手を出す女たらしだったとでもいうのでしょうか。少なくとも最後まで観るかぎり、智也にそういう性格付けはしていないように思うのですが……。

そして、指輪をつけたときに出現した虹を仰ぎ見ながら二人は手を握ったままでした。これももう二人の間に恋が芽生えた――もちろん、あおいはこの時点ですでに智也に好意を抱いていた可能性は後半を観るとわかるのですが、智也の行動としてはとても不自然に思われるのです。

ということで、この第2章は構成・演出・シナリオ的にわたし的には破綻しているように思われました。

とはいえ、上野樹里の演技はさすがにうまいもんです。とくに智也から交渉されて並んで歩いているときの「泣きそうなんですけど」とか「お願いだからちょっといなくなってもらっていいですか」なんていう言い方なんか絶妙でした。またタクシーの中で智也から「家、どこ?」って言われて「言うわけないだろう」とつぶやくところなど、本当に感心します。

この人のせりふは全く違和感を感じさせないんですね。のだめシリーズでも思いましたが、とにかく普通の役者ならわざとらしい、あるいはいかにもせりふです、というような感じにしか表現できそうもないところを、実にサラッと自然に言ってのける天才があります。

第3章 コダック娘
第2章は破綻していると見るわたしの場合、ストーリーはここから始まったことにして見たほうがよさそうです。

サユミとの仲介工作で知り合った二人。あおいは知り合ったばかりの智也に好感を抱きます。そして、自分の所属する映画研究部(以後、映研と略称)に招き入れることによって彼女なりの智也へのアプローチをかけることにしました。具体的には、自分のつくった映画『The End of the world 』の男役を智也にすることによってです。

学生食堂の場面であおいは智也を見つけて、用意していたシナリオを差し出します。そして、見事あおいの希望どおり、智也は映画出演に同意します。そして、あおい監督による撮影が始まるのです。

この後、同じ映研の秋田美人学生・麻倉今日子(酒井若菜)を相手役として撮影は進むのですが、この映画のクライマックスである二人のキスシーンに今日子が強く抵抗を示したため、急遽監督であるあおいがキャスト兼任で進めることに変更、撮り直しとなります。そして、この映画『The End of the world』は完成したのでした。

映画が完成して簡単な打ち上げパーティがあり、そこで今日子に対して以前から関心を抱いていた智也は、それを知るあおいから文字どおり背を押されてアプローチをかけます。既に彼氏のいた今日子でしたが、彼氏に不満があったことや酒の勢いもあってか、智也のアプローチに快く応じキスまでしてしまいます。

それを近くで見た今日子の彼氏が怒って智也に殴りかかり、智也は傷を負います。その手当てはあおいがするのです。二人は並んで夕暮れに帰路につきますが、缶を蹴りながら二人とも痛みを感じています。智也は今日子にせっかくアプローチできたものの、その彼氏に殴られ、結果として今日子に振られたという痛みでしょうか。そしてあおいは本当は智也を好きなのに、それを告白できないまま智也の背中を押したことに対する痛みを感じているのでしょう。

さて、ここでのストーリー展開はまずまずというところですが、やはり不自然なところが散見されました。

まず、酒井若菜演じる今日子ですが、秋田訛りが抜けない女子大生という設定です。今どき、こんな女子大生がいるでしょうか。いくら田舎出身と言っても今どきの若い娘なら標準語もほぼ完全にものにしているのではないでしょうか。一般的に地方出身、特に東北出身の若い女性なら、まず地元の訛りが出ないよう注意しているものです。とくに大学の映研とはいえ映画に出演などという場面で訛りをぽろっと出すなどということはまず考えられないように思うのですが、どうなんでしょう。

だから、今日子にわざわざ秋田訛りをぽろっと出させて、智也の笑いを引き出すという演出には非常に違和感がありました。また、それまでのせりふが標準語だったのにその部分だけ急に秋田方言になるというのもいただけません。こういう切り替えは思ったより難しいものです。ですから、かえって不自然に見えます。

もう1つ今日子がらみでは、智也が打ち上げでビールを飲んでいる今日子に近づいたときに、彼女はすぐ智也にキスをしてきます。映画の演技のときにはとても恥ずかしくてできない、と言っていた彼女が酒を呑んでいたとはいえ、ここまで豹変する姿には唖然とさせられます。まあ、映像として残すことに抵抗があったのかもしれませんが、何だかキャストの性格付けが極めてご都合主義的に過ぎるように感じてしまったのです。

さて、上野の演技はというと、ここでも随所にうまさを感じるシーンがありましたね。この章でわたしが個人的にいちばん気に入ったのは次の2つ。

智也に「せりふを覚えてきて」と告げ、「無理、無理」と笑顔で応じる智也に対して「ていうか、思いっ切り嬉しそうな顔してんじゃん」と決めつけながらテーブルを離れるあおいの言い回しと動作。 それから、愛宕神社のお祭りに誘われて智也に断るときの、「目が見えないんだよ、妹……。遠慮して」のせりふとその表情のシーン。どちらも見ごたえのあるシーンでした。

ただ、この後に妹と絶対に口を利くな、という約束でお祭りに行くことになりますが、この「口を利くな」っていうのがストーリー的にどうして必要だったのか、いまだにわかりません。妹が人見知りだったとして、どうして口を利いてはいけないのか、全く観客には知らされていないのです。しかも、妹は智也が合流したときからそれを知っていたわけですから、何ともこの辺りの事情が不自然に感じられてしまいます。もう少しこの辺りの背景を説明してもらってもいいようにも思うのですが……。

第4章 妹
蒼井優と上野は、『亀は意外と速く泳ぐ』以来の2回目の共演(競演)です。わたしの注目する女優二人の競演はうれしい限りです。

浴衣姿のあおいかなは、お祭りにやって来ました。そして、約束どおり口を利かない智也と合流します。途中、ベンチに腰かけて小休止しているときにかなはかき氷が食べたいと姉にねだり、あおいは買いに行きます。ベンチに残されたのは智也とかなの二人。 そこで、突然いかにも智也が一緒にいるかのごとくかなが話し始めます。「きょうのお姉ちゃんならなんでも言うこと聞いてくれそう。岸田さんが一緒だからかな」と。驚いた智也はうっかり約束を破り、かなと話してしまいます。帰りのバスの中で智也とかなは、二人の間で居眠りしているあおいを挟みながら、親しげに語り合います。

さて、ある日の部室での二人の会話。そろそろ卒業する彼らにとって就職活動の季節となったようです。なかなか苦戦している二人。智也はあおいにせっかくだから映画関係の仕事に就くよう薦めます。そうして、いきなり智也はあおいの手を引っ張って彼にとっての初めての映画『The End of the world』を見るのです。上映中、あおいは、空を仰いでいるあおいの顔のアップの次のシーン――恐らく病室の天井のシーンで一筋の涙を流します。

やがて就職した彼女は1本の番組をつくりました。酒造りの杜氏(とうじ)のドキュメンタリーフイルムのようです。その映画を会社の上司・樋口慎祐(佐々木蔵之介)に見せます。

第5章 失恋
樋口とあおいは屋台の店で呑みながら、先日つくったあおいの杜氏の番組について樋口から批判を受けました。このとき、酔った樋口から海外に出て世界を見てこい、とハッパをかけられます。そして、なんとあおいはこのアドバイスを実施に移すことを決意したのです。焚きつけた樋口はちょっとあわてますが、すぐに励まして送り出すことにします。そして、あおいの空いた穴を埋めることから、卒業後ずっとアルバイト生活をしていた智也が同じ制作会社に就職することになります。

さて、スピードデートクラブに取材を兼ねて一緒に行ったあと、二人は帰宅の途につきながら多少の酔いもあってか、智也はあおいに対して「さみしい者同士で付き合おうか」ともちかけます。そして、突然抱きしめてこう言うのです。

「酔っぱらっているからかなぁ、女を感じない!」

ひどいですねぇ(笑)。こんなこと言われちゃあ、いくらなんでも女性は気の毒すぎます。そして、さらに追い打ちをかけます(ここのところは上野の演技にとってのクライマックスですから詳述してみましょう)。

智也「でも、この程度で結婚を決めちゃうやつもいるんだろうな」
あおい「ちょっと、さぁ……」
智也「結婚してみっか、おれたち一度」

いきなり、あおいは抱かれた手をほどき、智也を前に押し倒します。

智也「冗談だって」
あおい「冗談でプロポーズするやつがいるか。取り消せ、この野郎!」

カバンで智也を殴りかかるあおい

智也「酒癖、悪いな、痛てっ」
あおい「もしこの後、誰からもプロポーズされなかったら、今のお前の一言が一生残るんだよう、それをわかって言ってんのか、この野郎! 人の人生、むちゃくちゃにしやがって! お前はなんなんだよ。何なんだよ、お前は」
智也「ごめん、謝る」

ここで再度智也に近づいてカバンで殴りかかる。そしてまた叫ぶ。

あおい「お前はなんなんだよ。――こんな自分がイヤになる。何で謝れるんだよ。ファーストキスまで奪いやがって、もう何だか(嗚咽)……」

泣きながら歩く。そして、後ろから智也が「ごめん、あおい」と声をかけると、あおいは足元にあった空き缶を拾って智也に投げつける。

いやあ、このシーンの上野の演技は圧巻でしたね。この演技だけで泣けます。とにかく、すごいとしか言いようがありません。

それにしても、智也のこの若げの至りとしか言いようのない失礼な態度は何と言ったらいいのでしょうか(笑)。まあ、残念ながら若い時代には、男はえてしてこういうことがありがちなのかもしれません。それからいま思い出したのですが、ここのシーンでの智也のせりふ、「おれたちは相性はいいはず」というところが、市原の滑舌が悪くて「相性悪いはず」と聞こえてしまいちょっと残念でした。

さて、この数日後くらいの設定なのでしょうが、さらにさらにあおいに追い打ちをかける出来事があります。

あまりに職場で厳しく鍛えられる状態に、ついに智也は辞めることを考えて上司の樋口に向かって「辞めたい」と相談します。ところが、樋口はここで思わぬことを告げます。智也が卒業後ずっとアルバイト生活をしているので、智也のためにあおいが会社を辞めて智也を就職させたんだと。それを聞いた智也は怒って、すぐにあおいを屋上に呼び出して事の真相を確かめます。

あおいはアメリカに行くことを話し、樋口の話は作り話であることを明かします。同時に、そのときあおいは「失恋した」と漏らすのです。

鈍感な智也は、誰に振られたのか、と問いただしますが、あおいは「言わない」と答えます。しかし、話が進むなかでさすがにあおいの好きな男が智也であることがはっきりしてきます。智也自身もどうやら自覚したようです。 しかし、智也の返事は「俺ももう少し職場でがんばるから、お前もがんばれ」というものでした。つまりは「アメリカに行け」という返事で終わったわけです。ついにあおいも完璧に失恋したことを知り、アメリカ行きを決心したのです。

このシーンで気づくのは、やはり智也はあおいにはあまり気がなかったということです。酔ったときにあおいを怒らせたように、女としてあおいを見ることが最後までできなかったということなのでしょう。そういう設定であることをここで確認できただけにストーカー時代から映研時代の智也のあおいに対する行動が、揺れる想いからの表現というよりも、ご都合主義的な設定のように感じられて仕方がなかったのです。

そして、あおいはアメリカに旅立ちました。

第6章 恋人
この章では智也とスピードカフェで出会った森川千鶴(相田翔子)とのものすごい恋愛(笑)を扱っています。とにかくバツイチ、34歳の千鶴の積極的な智也へのアタックがものすごいんです。それも千鶴の親までグルになって、智也と何とか結婚させようとするのですから、ただただ唖然と見守るしかできませんでした。

それにしても、この章での市原と相田翔子のやりとりは爆笑ものでした、はははっ。 まあ、笑ってばかりではいけないのかもしれません、30歳を越えた女の苛立ち、焦り、うそ、かけひき、切ない恋情といったもろもろの要素を相田がなかなか好演して見せてくれたようにも思います。

第7章 地球最後の日
あおいの告別式の日、集まった映画研究会仲間の一人が見つけた『The End Of The World 』を樋口とともに鑑賞することになりました。そして、それまで断片的にしか見せられなかったこの映画の完成されたかたちがわれわれ観客に初めて明かされます。

この映画のテーマは、地球最後の日に二人の恋人が愛を確認するという「夢」を見た瀕死の入院患者が最後にベッドの上で臨終を迎え一言コメントを残して終わるものです。そのコメントとは

「終わったのは、私だけだった。」

つまり、映画の夢の内容は地球の最後だったのですが、それは「私だけ」の死によってのことだった、つまり自分の死による地球最後の日であるというシンクロニシティをモチーフにした映画だったのです。強烈な皮肉を描いた映画をあおいはつくっていたのでした。 そして、今度は実人生でも同じこととなり、二重、三重にシンクロさせることによって、このモチーフの強烈さをさらに際立たせたのでしょう。

終章 虹の女神
最後は告別式も終わったある日、智也は会社時代のあおいの遺品を自宅に届けにきます。かなだけが留守番で家にいました。

かな
は、アメリカ事故でのあおいの遺品であるケイタイを智也に「上げる」と言って渡します。そこには、あおいが死ぬ寸前に聞いたであろう智也の送信した虹の写真と留守番メッセージが残っていました。そして、かなあおいの部屋に案内して机の上にあった手紙を智也に渡します。その手紙は智也から今日子あてのラブレターをあおいに代筆依頼したものでした。

ところが、その手紙の余白にはあおいが岸田に寄せつづけた思いをせつせつとつづっていたのです。それを読む智也に、かなは「お姉ちゃんは岸田さんのことが好きだったんだよ」とそっと言い添えます。

ついに智也は泣きじゃくります。 やがて、外に出た智也は一人芝の上に座って、最後にもらったあおいのケイタイをじっと見入ります。すると、そのケイタイのバッテリーがなくなるのです。暗転――この映画の終わりでした。

ここの章では、やはり蒼井優のかなと市原の智也との絡みが実にマッチしていて、とても感情移入しやすかったです。二人のやりとりを安心して見ていられました。

しかし、こうしてすべてを振り返ってみると……

う~ん、 サユミがストーカーだった話や一万円札の指輪、最後の最後にケイタイ充電切れのシーンなど、この映画はちょっとあざといつくり込みが目立ちました。わたしのようなナチュラル・ストーリー好みにとってはどうにも小首をかしげたい演出が目立ったように思います。

もちろん、映画は架空劇であり現実離れした表現があってもちっとも構わないのですが、今回の場合少なくとも私がストーリーに入り込むことを阻害してしまうシーンが多くて、結果としてかなりマイナス評価となってしまいました。

もっとも、私のような感じ方はむしろ少数派なのかもしれません。今の若者なら、上記のように私が指摘した不自然さはほとんど感じられないという人のほうが多いのでしょう。だから、ネット上での感想の多くが称賛しているのだと思います。ただ、残念ながら私は上に述べたように感じてしまったのです。

ただし、役者さんはみんな持ち味をうまく出していましたから、その点で十分に見ごたえはあったように思います。

役者の演技には満足できても、映画全体のつくりとしては不満の残る作品――という、私にとっては珍しい作品でした。

2007/10/18追記

最近見つけた、私の感想とは真逆のサイトをご紹介しておきます。「解説」となっていますから、ひょっとしたらこの映画の関係者の方がつくられたサイトかもしれません。私にはできなかった数々の伏線から読み取れる背景、事情など文字どおり「解説」が詳しく述べられています。

『虹の女神』全解説


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