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2007年11月18日 (日)

NHK連続ドラマ『ちりとてちん』(11月17日放送分)

『ちりとてちん』は、映画『スウィングガールズ』のトランペッター役の貫地谷しほりが主演ということを知って、ちょっと興味を持っていました。ただ、朝のテレビドラマを見る習慣がずっと長いことなかったものですから、ついつい見忘れたりしていたのですが、先々週くらいから思い出したように見始めたら、思いのほかおもしろそうなので先週からはいよいよ本格的に見続けています。

さて、そうしたら早速昨日11/17土曜日の放送に出会い、早くも感動してしまいました。もう間違いなく前半のクライマックスと言っていいのではないでしょうか。まあ、残念ながら主人公・和田喜代美の表立った活躍シーンはないのですが、とにかく徒然亭一門の再出発の落語会の様子がたくみに物語られ、しかも上方落語の語りが加わり一層情緒の深い一話となっていました。そして、何より四人の弟子と師匠がなかなかいい味を出しているのも魅力です。15分間の短いドラマですから、ちょっと簡単に振り返ってみます。

徒然亭一門は3年前の一門会で師匠がすっぽかしをやって以来、師匠・草若は落語をやめ、弟子たちもそれぞれてんでんばらばらになっていたのですが、草々と和田喜代美の熱意と活躍により、弟子たち4人がついに一緒に落語会をやることになりました。きょうは、その日でいよいよ会が始まります。会場は居酒屋「寝床」。

お囃子が鳴り、拍手。一番手は徒然亭草々です。
「ようこそのお運びで厚く御礼申し上げます。えー、うちの師匠が落語をやめて3年になります。落語をやめた、やめたと言って毎日稽古をつけてくれはるけったいな師匠でして、ついこの間も
「おい、草々、おれは何で落語みたいなもんやってたんやろか」
「落語みたいなもん?」
「考えてもみい、一人座布団の上に座って、誰もおらへんとこに向かって『こんにちは』、ほんで今度はこっちから『ああ、おまはんかいな、まあこっち入り!』。まあ、まともな人がやるこっちゃないなぁ」
言われてみたら、そうやなあ、思いまして(会場笑)、この寿限無(じゅげむ)という落語はそんな師匠に入門して最初の年に教わった噺(はなし)でして……」

草々は予定どおり寿限無(じゅげむ)を一席やります。そして、いきなり場面が変わって高座には草々に代わり四草が。彼は「崇徳院」をやっております。例の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の……」を朗誦するシーン。

さあ、次は草原の出番です。落語を一たんやめてからディスカウントショップに働いていたことを語りつつ、そのころの大阪のおばちゃんたちとのやりとりを枕として取り上げ話します。

最後にはトリを務める小草若。枕の話として、徒然亭一門の弟子たちの名前の付け方について語ります。草原、草々、四草おのおのの名前の由来をおもしろおかしく披露してから、いよいよ自分の名前「小草若」の名前をつけてもらったときの段に入ります。

「で、わたくし小草若、小さい草若、小草若――そのままや、っちゅうねん(笑)! でもね、わたし、この名前をもろたとき、そりゃあもう……」 (ここでしばし、うつむいてしまう)

――あれ? こんなところでうつむいたまま随分長い間(ま)です。どうしたんだろう、と思わずじっと見ていると

「うれしいてねっ。何やこのぉ、いつか小さいという字が取れるように、親父が言うてくれてるような気がしましてねぇ。せやからこの寿限無(じゅげむ)いう噺がものすごく好きでね。」

と続けて、先ほど草々がやったにも拘わらず、ここでもう一度小草若は寿限無(じゅげむ)の噺を始めるのです。そして、親が子のしあわせを願って長い名前をつけるというこの話を進める内に小草若は感極まって泣き出してしまいます。さらにはあろうことか、とにかく噺を終えたものの高座から下がって客席の袖で泣き崩れるばかりです。トリだというのに、これでは顰蹙(ひんしゅく)を買うのは当然といったところ。

それはともかく、これはネタに名を借りた本当の親子、つまりは草若・小草若親子の人情話なのだということが、われわれにはわかります。そう、仏壇屋のおばちゃんから父・草若の一門会欠席の真実を聞いてから息子・小草若はすっかり父に対する信頼を回復したんですね。そして、改めて誤解していた自分を赦してくれ、といわんばかりの姿なんでしょう。そうして、どうやらそれが父・草若にも伝わったようです(ところで、この小草若を演じているのは本業・狂言師らしいですが、なかなかの熱演でした)。

しかし、一方落語会に集まった連中にとっては、これまでテレビを見てきたわれわれと違って(笑)、何のことやらさっぱりわかりません。そりゃそうです。突然トリの小草若が高座で泣き出してしまい、このままでは折角の徒然亭一門の再出発の門出も台無しとなりそうな気配さえうかがえるくらいなんですから。これは、何とかしなきゃいけない場面です。

  一応プログラムに書いてあった「秘密のゲスト」としてスタンバイしていた居酒屋「寝床」の主人・熊五郎(木村祐一)が得意のフォークを歌うようにと草々から請われますが、さすがの当の主人も「こんな空気で出れるか!」の一言。思わず吹き出しちゃいました。いや、そりゃそうですよねぇ(笑)。

しかし、何とかお客さんに納得して帰ってもらわねばならない状況に変わりはありません。あわてて、草原兄さんもついに三味線を持って草々に指示します。

「そうや、草々、愛宕山やれ、愛宕山!」
「えっ?」 とびっくりの草々。

しかし、ここはもうそれしかないと草々も腹を決めて、いざ高座へ……

と、そこに草若師匠がずいっと目の前に!!!

そうです、この場の空気が読めないはずのない師匠はついに何事か意を決して高座を目指して歩み寄ります。そして、一呼吸置いたと思うとおもむろに紫の座布団に正座し、客席に向かって深々と頭を下げるのでした。

一同、あっけにとられつつもとりあえず拍手。パチパチパチ。

ここからの師匠の噺がとってもいいんです。忘れないうちにちょっと再録しておきます(ここが書きたくていま書いているようなものです)。

「ええ、徒然亭草若でございます。3年前一門会というのがあったんですが、年のせいですかな、情けないことに道に迷うてしまいました。うろうろ、うろうろ……、3年かかってやっとここにたどり着きました。

お客さんを気持ちようお帰しするのがトリの務めでございます。ま、一つこのお噺でおつき合いを願います。 

(左手の小拍子で)カチッ!

えぇ、太鼓持ち? 男芸者と呼ばれる商売がありますが、これは難しい商売でして男が男のお客のご機嫌をとらなあきません。東京のほうではまだ古い方が何人かいてはるそうですが、残念ながら大阪では全然見かけんようになってしまいました。

終戦直後にはまだ何人かいてはったそうですが、大阪はミナミの太鼓持ち、一八と繁八という2人。ミナミのお茶屋でしくじりまして、伝(つて)を頼って京都祇園町で働いております。きょうしも室町辺の旦那衆が祇園町で遊んでいたんですが、「おい、どうや、一つ野駆けしようやないか」ということになりまして舞妓さん、お茶屋のお上さんから仲居さん、それに一八、繁八の両人もお供に加わりまして祇園町から西へ西へ、鴨川を渡ります。

御所からどんどん西へ出てまいります。野辺へ出てまいりますと、春先のことで空にはひばりがピーチクパーチク、ピーチクパーチクとさえずって、下にはレンゲ、タンポポの花盛り。かげろうがこう萌え立ちまして、遠山にはふわーっと霞の帯を敷いたよう。麦が青々と伸びて菜種の花が彩っていようかという本陽気、やかましゅう言うてやってまいります、その道中の陽気なこと!」

うーん、ここの語りはとっても美しく聞こえました。たぶんBGMの効果もかなりあったように思いますが、それにしてもようやく真打ちが登場したという安堵感・安定感、そして客席の失望しかけた落語会を一気に盛り上げての高座の姿、さすがに渡瀬恒彦が熱演しておりました。

何がよかったといって、冒頭にまずは簡単にこれまでの3年間を「道に迷うておりまして」と片づけてしまったところ。こういう言い回しがさらっと出てくるところにものすごく師匠の魅力を感じさせてくれます。

そして上方落語「愛宕山」に入ってのその語り、とくに京から西に下って見えてくる風景描写のあれこれが絶品です。ひばりが鳴く、レンゲ、タンポポの咲いた道、萌え立つかげろう、青々とした麦、菜種の咲き誇る姿、そして遠くの山にたなびく霞など、きょうのこのドラマの最後にふさわしい実に美しいフィナーレを色鮮やかに演出してくれます。

そして、そして、きょうのせりふの最後は「その道中の陽気なこと!」――ここできょうのドラマを締めたのも余韻がいや増しに増して味わい深く、ちょっとぞくぞくするものを感じたくらいです。徒然亭一門の復活とこの「愛宕山」の風景描写が渾然一体となり、見事なドラマとして成立した瞬間だったのではないでしょうか。

この愛宕山を全部一度は聞いてみたいなぁ、という気にもさせてもらいました。そういえば、今回のNHK連続ドラマでは、ところどころ上方落語の内容をわかりやすくするために一口講座みたいなものをやっていますね。「辻占茶屋」でも、色男に京本政樹、芸者に和久井映見が演じて噺の中身がすぐにわかる工夫がされてましたから、この愛宕山もそのうち内容を見せてくれるのかもしれません。それも楽しみです。

とにかく脚本がよいドラマですから、今後もしばらく見続けていくことになるドラマとなりそうです。今後は貫地谷しほりの活躍にも焦点を当てていきたいものです。

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2007年11月 7日 (水)

『イルマーレ』(アメリカ・リメイク版)

『イルマーレ』(アメリカ・リメイク版/DVDレンタル)を観ました。韓国オリジナル版(私の感想はこちら)はなかなか情緒あふれる、しかも余韻がずっしりと残る名作だったのでリメイク版はかなり劣るだろうなぁ、という予見もあり、観る気が一向に湧かなかったのですが、だれかがとってもわかりやすかったという感想を漏らしているのを聞き、突如好奇心が湧いて先日観てみました。

さて、映画そのもののストーリーや役者の演技についてはいろいろなブログやその他で話題になっているようですから、その辺は多く語ろうと思いません。ただ一つ二つ述べさせてもらえるなら、ケイトのアパートの床からなぜ「説得」というケイトの父親の遺本が出てきたのか、これは終わってからもずっと謎でした。ネット上で「ケイトのアパートが出来る前にアレックスが忍び込んでかくしておいた」とかいろいろな説を読みましたが、どうしても不自然さは残りました。

もう一つ、リメイク版はオリジナルに比べてその場面がどの時空のものかを少し考えないといけないつくりになっていましたので2回くらい観ないとどっちがどっちか(2004年の出来事なのか2006年のものなのか)よくわかりませんでした。背景の色合いを少し変えるかして、その辺をもう少しわかりやすくしてもよかったのではないかと思います。

それはともかく今回見たら、またしてもこの映画の不思議な世界を改めて確認することとなりました。 私の韓国版の映画感想(こちら)の中で述べた第2時空世界をそのまま描き、そして最後にまた命を救うための手紙を投函して第3時空世界をもう一つつくり出し、ハッピーエンドを迎えるというストーリーとなっています。韓国版にあったわれわれを迷宮に誘う第4時空のエピソードは入っていませんでした。

おっと、いきなり第2時空とか言っても説明が必要ですね。韓国オリジナル版の復習も兼ねて簡単にこの用語の説明だけしておきます。

まずこれから述べることの大前提として、宇宙世界は一つでなく無数の世界があり得て、しかも並行して存在してよいという「並行宇宙」という考え方をベースにしています。それは想像できるかぎりの世界が並行してあり得る、という考え方らしく、もっとぶっ飛んだ言い方をするとどんな瞬間にも無数のパラレルワールドが分岐し得ることを許す世界の見方です。極端な例を言うといわゆるタイムパラドックスがない世界――現在の私が過去に戻って祖父を殺しても、いまの自分は消えない世界です。

(ここからネタバレ

具体的にこの考え方をこの映画に当てはめてみます。 まずレイクハウスの郵便受けが時空を越えてワープすることなどない、いわゆる普通の世界――今われわれがふだん感じている世界を第1時空世界とします。次に、郵便受けがワープした途端に分岐された世界を第2時空世界とするのです。すでにこれで2つの時空世界が並行しているというわけです。

念のために確認すると、第1時空世界ではイルマーレそのもののストーリーがあり得ません、郵便受けはワープしないのですから。しかし、ワープする郵便受けが存在した途端に第2時空世界が第1時空と並行して存在し始め、そこからこの物語が始まるというわけです。

映画では、この第2時空でアレックスは交通事故に遭いバレンタインデーに死んでしまいます。しかし、映画のラストにあるようにケイトの手紙を受け取り、間に合ってじっと2年間待つことにしたアレックスが現れる時空がもう一つ生まれていることに気づきます。この、2年後つまり2008年2月14日のレイクハウスでケイトと出会うアレックスのいる世界が第3時空世界です。この第3時空が生まれたおかげでこの物語はハッピーエンドとなりました。

こうたどってくると一見「めでたし、めでたし」の結果で、落着した気分になりますね。 しかし、しかし、果たしてそうなんでしょうか?

韓国オリジナル版の感想の最後にも書いたのですが、次のように考えたときにどうしても腑に落ちない――いくら「何でもあり」の並行宇宙といえども、これはあり得ないでしょう、ということに気づいて以来、ずっと私を悩ませるポイントがあります。

それは、こういうことです。

第3時空への分岐点は、第2時空のケイトが急いで「自分を捜さないで! 本当に愛しているなら、2年待って! そのとき私はレイクハウスにいるわ」という手紙を投函した時点にあるはずです。 並行宇宙の考え方からみると、このときケイトが郵便受けの中に入り込み(もちろんそんなことは不可能ですが、思考実験としてです)2006年の2月14日にワープしてアレックスを交通事故から救うということなら、一応許されるのではないかと思います。ただし、ケイトがそうしてつくった時空ではケイトが2人(ただし、2歳違い)いることになりますが……。

しかし、この映画のように第2時空ではすでにアレックスは死んでいます。その時空から手紙を届けて、アレックスを交通事故から救うことまでは許せるとしても、あの郵便受けの場面にアレックスを登場させることができるのか、というのが疑問なのです。レイクハウスで投函したばかりのケイトのいる時空はどちらでしょう? 第2時空のはずです。したがって、その時空ではすでにアレックスは死亡した事実が確定しているのです。

でも、郵便受けの中身がワープすることを許すことができるのですから、あの手紙が間に合ってアレックスが生き残る可能性だってあっていいはずです。2年間じっと我慢してもいいはずでしょう。しかし、あの手紙を投函した場面にアレックスは登場できるのでしょうか?

これが、最大の疑問です。

彼が現れるということは、彼が交通事故に遭わず、弟と一緒に設計事務所を経営している可能性が高いことになります。先ほど、その弟から兄、アレックスの死を聞いたばかりのケイトの前にどうしてアレックスがあらわれ得るのか、これが大問題だと思われるのです。

これは、ちょうど下り階段を降りって行ったらいつの間にか上り階段になっていたという例のエッシャーのだまし絵のような世界です。私は今回映画を見直して、ついにここに至り同じ矛盾の映画バージョンなのではないか、と考え始めています。事実、韓国版オリジナル映画のなかにはエッシャーの絵がことを暗示するかのようにそれとなく映し出されているシーンがあるのです。

逆の言い方をすると第3時空――つまりあのラストシーンでアレックスがケイトの前にあらわれることを成立させるためには、手紙が投函されてアレックスがそれにより助かった途端に、第2時空の記憶がケイト及びアレックスの関係者全員からなくなり、別の記憶ができていなければならないことになります。いくら並行宇宙でもそれはあり得ないのではないか……。そこがどうやらイルマーレの時空論的な問題提起だったようにも今思われるのです。 そして、それを解決して2人の恋を成就させるために韓国映画には例の第4時空のシーンが付け加えられた可能性があります。

この第4時空の話の前に、ここまでの話を整理してみます。

  ……………………………………………………………………………………

第1時空世界……イルマーレの話などまったくない世界。アレックスとケイトはまったく接点を持たず、したがって美しい恋物語はありません。

第2時空世界……郵便受けがワープしてアレックスとケイトが文通しあい恋が成立します。しかし、2006年のバレンタインデーにアレックスは交通事故死してしまう世界です。2008年のバレンタインデーにそれを知ったケイトは「会いに来るな」のメモを郵便受けに入れますが、それが間に合わなかった世界でもあります。

第3時空世界……ケイトは、2006年のバレンタインデーに自分を捜しに来たアレックスが交通事故に遭うことを知ったため、2008年のケイトが急いでレイクハウスの郵便受けに行き「絶対会いに来るな」というメッセージを残し、それが間に合う世界です。もちろん、その忠告を守るアレックスでなければいけません。それは交通事故を回避できた世界であり、2008年のバレンタインデーに2人はようやく出会うことができます(今や疑問符付きですが)。それがこの映画のラストシーンでした。  
                                                             ++++++++++++++++++++++++++++++++

おまけ。この映画の時系列メモです。いずれもケイトの時間で考えます。

2006年2月14日以前――ケイトがレイクハウスを引っ越す。文通開始。
2006年2月14日   ――アレックスが交通事故死。
2006年4月3日    ――2年前の写真から、季節はずれの春の雪をアレックスに手紙で連絡し、その確認がとれたことで郵便受けがワープすることを確信。
2006年10月6日ごろ――アレックスの父が2004月10月6日に死亡したことを死亡証明書を見て確認し、アレックスを慰める。 この後、レストラン「イルマーレ」で会う約束をするが、アレックスが来ないため、ケイトはこの恋の成就をあきらめ、モーガンとよりを戻す。

その後、1年半ほどケイトのアパートでモーガンと同棲してアレックスのことは忘れる。

2008月2月14日  ――モーガンと2人で暮らす家を改築するためにアレックスの弟の建築設計事務所を訪れ、ちょうど2年前アレックスが交通事故死したことを告げられる。

  ……………………………………………………………………………………

さて、ここまでのまとめを頭にいれたうえで韓国オリジナルのラストシーンをご紹介します。ちなみに韓国オリジナルでは郵便受けに祈るように投函したウンジュ(ケイト役)の前にソンヒョン(アレックス役)はあらわれません。というか、どうなるのかわからないまま曖昧にしてシーンは切り替えられます。

そして、最後に第4時空世界をつくり出しています。ここでは、アメリカ版の設定で説明しましょう。

レイクハウスからまさに引っ越そうとしているケイト(つまり映画の冒頭のシーン)にアレックスが会いに行くシーンです。そして、アレックスはあの犬の足跡の付いた橋のうえで「こんな奇妙な話を信じてもらえるだろうか」(韓国版のソンヒョンのせりふ)と言ってケイトに近づくのです。 これが、韓国オリジナル版のラストシーンです。

              ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

今、気づいたのですが、これが可能になるのは韓国オリジナル版では交通事故死するのが、2人が文通しだしてから約4か月後の出来事だったからです。ですから、アレックス(ソンヒョン)は引っ越そうとするケイト(ウンジュ)に会うことが可能でした。しかし、今回のリメイク版では出会ってから約2年の月日を経てから交通事故死するわけですから、ここの設定自体がまったく違っているのですね。となると、この第4時空はこのアメリカ・リメイク版ではあり得ないことになります。

アメリカ・リメイク版では事故の時期を大幅にずらすことによって、あえて混乱を深めるようなことはせず、ただ一つ上記のような問題だけは投げかけつつ、しかしかたちとしてはハッピーエンドにしたということでしょうか。

ただ、韓国版を見たときにはこの第4時空のシーンが最も理解しにくいものでありつつ、しかし余韻を生み出す源泉ともなっていました。その後いろいろと考えてきて今回アメリカ・リメイク版を見たら、上のように第3時空そのものの成立が危うくなってきています。そうすると今度は逆に、2人が実際に会って恋を成就させるためには、ソンヒョンが死ぬ前にやはりウンジュと会うしかない。それが、この韓国オリジナル版の第4時空世界の創造、つまり作者による一つの救いの手だったのかもしれない、と考えられるようになりました。まあ、本当のところはよくわかりませんけど……。ただ、可能性をいろいろと考えさせられるという意味ではやはり韓国オリジナル版のほうが趣がよほど深いと言っていいように思います。

いずれにしろ、この映画は私のようなタイムマシンものに目がない人間にとっては非常におもしろい作品でした。

ところで、並行宇宙の考え方の映画としてよくできていたと思ったのが洋画『タイム・トラベラー ~戦場に舞い降りた少年』(出演: トム・ウィルキンソン, ジュリー・コックス 監督: ハーレイ・コークリス)でした。過去に行って介入するたびに現在がその都度変わっているというストーリーで、歴史は一つだけでなくいろいろな可能性を持つという並行宇宙の考え方を色濃く出していた作品であったように思います。

さらに最近読んだ本で荒唐無稽とはいえ、かなりおもしろいのがありました。『未来人ジョン・タイターの大予言』(マックス発行)です。

これは正確には「予言」ではありません。並行宇宙であるもう一つの世界情勢を語ったものであり、ジョン・タイターは2036年からやってきたアメリカ人です。1998年夏にわれわれの世界(彼は物理学用語の「世界線」という語を使います)にやってきて、自分の両親の家に住み約3年を過ごしたそうです(当然、幼少時代の自分と同居します)。そして、2000年11月からおよそ5か月間をインターネット上の掲示板で未来人としての話を語り続け、当時はかなり話題になったようです。この本はそのときの書き込みを適宜編集してつくられた本のようです。

どんなことが書いてあるかというと、まず2034年にタイムマシンが発明されたこと。それから、もう一つの並行宇宙の地球では2005年から10年間アメリカで内戦が起こるそうです。また、アメリカでは狂牛病による死者がどんどん出てくるとか、われわれにとって近未来の話としては来年2008年の北京オリンピックは中止となっています。

繰り返しますが、これらはすべてもう一つの並行宇宙(世界線)の地球の話でありますから、われわれの今この地球でそういうことが起きるかどうかはわからないのです。ただ、極めて似通った並行宇宙のようなので将来当たるものもあるかもしれないとしています。

もっともタイターの話で間違いというか、彼の世界で起きたことでわれわれの世界では起きなかったことも記されています。それは、コンピュータの2000年問題です。タイターの属する世界では2000年問題で世界的な大混乱が生じたんだそうで、タイターはそれを非常に心配し、またそれに対応するためにわれわれの世界に滞在したふしがあるという話も載っていました。しかし、あっけなく新年を迎えたときにはしばし呆然としていたと言います。

もちろん、これらは巧妙なフィクションであり、並行宇宙をモチーフとしたイタズラだとするのが穏当な見方と言うべきでしょう。しかし、並行宇宙があるとしたら、またタイムマシンが未来に完成していたら、未来の人類が今の世界にやってきてもそれはまったくあり得ないことではないのかもしれません。少なくとも並行宇宙という考え方を学ぶには非常によくできた「物語」でした(笑)。

もしタイムマシンマニアの方で、未読の方にはぜひご一読をお薦めします。

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