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2007年12月 1日 (土)

NHK連続テレビドラマ『ちりとてちん』(11月26日~12月1日)

先週のちりとてちんは、録画の失敗もあり半分くらいしか見られませんでした。とくに11/24の放送では父親からのたっての依頼に応えて草若師匠(渡瀬恒彦)が喜代美(貫地谷しほり)の入門を許すシーンがあったそうで、それを見られなかったのがとても悔やまれます。

それはともかく、今週は月曜日にその入門を許された喜代美の両親のお礼のあいさつから始まりましたね。今週では、この月曜日のお母ちゃん(和久井映見)のものすごいたくましさとお婆ちゃん(江波杏子)がスペインへ移住する際の喜代美との対話が最も感じ入ったシーンでした。

まず、お母ちゃんのたくましさ。
これはもう全国のお母ちゃんが持っていると言ってもいいくらいなのですが(笑)、それをこういうかたちで堂々と、しかも懇切丁寧?に表現してくれたのが、とってもおもしろかったように思いました。 ちょっとその辺りのシーンのシナリオを再現してみます。

小浜からあいさつのためにやってきた喜代美の両親が、喜代美とともに3人で草若師匠の前に座っている。

「えー、このたびは娘を弟子にしていただき、ありがとうございます」
と深々と3名はお辞儀する。師匠も 軽く頭を下げてあいさつに応える。
「ふつつかな娘ですが、どうぞよろしくお願いいたしますぅ/」
草若「まあ、こちらこそよろしくお願いします」
「失礼かもしれませんけれど、これ、あいさつ代わりに……」
草若「若狭ガレイ」
「いえ、越前ガニですぅ/」
草若「こんなこと、してもらわんでもよかったんですけどなぁ(笑)」
「いいえっ、ほかの誰でもないぃ、うちの喜代美がお世話になるんやさけぇ、一人前の落語家にしよう思たら並大抵やありません! 何でこんな子、引き受けてしもたんやろぅ思う日ぃが必ずや来ます。そのときは、あのときカニもろうてしもたなぁと思て堪(こら)えたってください」(なんと、ものすごい言いようですなぁ、はははっ)
その発言をたしなめるように
父「おい」
草若「一人前の落語家になれるかどうかは本人次第ですよって……」
思わず当てが外れた面持ちで母が動揺しつつ
「えっ、そうなんですの?」
次の言葉をぐっとのみ込むとそれを知った父がまたしてもたしなめる。
「張り込まんかったらよかったみたいな顔、すなっ!」
「しとらんわ」
「あ、すんません。(カニは)向こうへやっといてください」
草若「おおきに、ありがとさんで。――おーい、これ、そっち!」
草原「はい」

ここで聞き耳を立てていた3人の弟子たちが入ってくる。喜代美の両親に皆お礼を述べながらも、とにかくこういうことに目ざとい四草がカニの入ったトロ箱をすぐに抱えて台所へ運ぶ姿が可笑しい。台所は久しぶりにカニが食えるかと3人の弟子たちで色めきだっている。

さて、ここからのお母ちゃんのせりふが振るっている。

「喜代美、しっかり修業するんやで」
喜代美「わかっとる」
「あのカニを買うためにお父ちゃんは夜も寝んと塗り箸つくってぇ、お婆ちゃんは三味線のおけいこをかけ持ち、正平は冬休み返上で郵便局でアルバイト、小次郎さんは浜で拾うて来た貝殻に色を着けて道端で売ってぇ、お母ちゃんはそのサクラ……」
「金の話はしなんな」
ここで、台所で聞き耳を立てていた弟子たちを代表して草原からの一言が飛び込みます。

草原「返しましょか?」

噴き出しました(笑)。こういうとこ、大阪らしいですね。

「いや、ええさかい食べてください」
と作り笑顔でにっこり。
「ほやけんど、これからもどんだけお金かかるかぁ」
「やめ、言うねん」
ここで思い切ったように母は草若に顔を向け直して、さも心配そうに
「草若師匠、お月謝はどれくらい払うたらええんでしょうか?」
草若「月謝は、いただきません」
「えっ?」

とびっくりする両親。
「そうなんですか?」
とお父ちゃんはあっさり師匠の言葉を真に受ける。

が、なんのなんの、そこはそれ、やはり少しでも安いものを探し回って家計をやりくりしてくるうちに自然と身に付いた世の中の仕組みの厳しさを知るお母ちゃん、一味も二味も違います!

「ほな、落語一つ覚えるたびになんぼ、なんぼとか?」 
草若「そんなもん、いただきません!」
それでもまだ不審の糸子――あぁ、と思いついたように
「莫大な入会金がかかるんやねぇ」 (おいおい!)
草若「何たらスクールみたいに言いなはんなゃ」
「徒然亭の紋の入った金の羽織が何千万って」 (こりゃ、どないにもなりまへんな)
草若「ええ加減にしなはれぇ」

ここで台所の草原がつぶやく。
草原「落語家相手に漫才してはる……。えらいお母ちゃんやな!」

はっはっは。そういうことですよね。まあ、お金に苦労ばっかりのこのお母ちゃん、どうしてもお金のかからない弟子入りなんて信じられないんでしょう。しっかり者の母親像を見事に演じきっていた和久井映見でした。それにしても、和久井がこんなにコメディタッチの演技がうまいとは意外です。この「ちりとてちん」では、彼女の芸達者ぶりがひときわ目立ちますね。

さて、最初見たときは母・糸子の不しつけなもの言いにやや違和感を覚えたものの、よくよくせりふを吟味するとそれは親ならではの深い愛情――とにかく喜代美を支えていこうとする覚悟があればこそのもの言いであることに気づかされます。

支えたいと思っても先立つものはお金。経済的に支えるのにどれほどの負担が待っているのかわからない、その不安から夫婦で漫才のようにして、いちばん聞きたいことをやっと聞き出せたシーンでありました。そして、一方ではどれほど経済的にゆとりのない家庭であるかを、とにもかくにも草若師匠にそれこそ露骨に伝えることによって、少しでも手心を加えてもらおうという、それ一心の可笑しくも親ならではの師匠とのやりとりでありました。

さて、もう一つ今週の私にとってのハイライトは小梅姐さん(笑)です。私の気に入ったのはこのせりふでした。

スペイン行きの報告を兼ねてしばらく会えない喜代美に会いに来た小梅姐さん。草若にあいさつを済ませるとすぐに喜代美に落語を聞かせてくれ、と告げます。喜代美は今けいこしている「ちりとてちん」をどうにか演じます。そして、その余りの芸のつたなさにびっくりしている小梅お婆ちゃんに対して、ついついいつもの弱気が出て喜代美はつぶやきます。

喜代美「お婆ちゃん、わたし、落語家に向いておらんのやろか。(中略)一遍に2つのことようせんさけぇ」
うなだれる喜代美。
小梅「ほうかもしれませんなぁ」
少しは励ましてくれる言葉を待っていた喜代美が意外そうに顔を上げる。
小梅「向いとらんのかもしれん」
さらにだめを押されて、がっくり肩を落とす喜代美。
小梅「ほやけんど、ほうやとしたらどないしますのんや」
ぼーっとしながら聞いていた喜代美は意表をつかれる。
小梅「ほかに向いとるもん、探しますのんか?」

いい言葉でしたねぇ。これは、いつの時代にも当てはまる青春を送る若者たちに対する言葉ではないでしょうか。恐らく、こういう言葉にハッとする人たちも随分いるのではないかと思います。

今の日本の教育では、どうやら中学・高校時代から自分のやりたい目標を見つけないとだめ人間とされるという、あたかも生徒にプレッシャーをかけるようなものになっていると聞いたことがあります。自分にいちばん合っているものを見つけられれば、それはもちろんいちばんいいことに違いないのですが、実際にはそんなものなかなか見つけられるものではありません。

だから、向き・不向きよりは自分の興味を持ったもの、好きだと思われるものにとことんまで付き合ってみる、あるいはもっと言えば好きでも興味がなくても目の前にある自分のできる仕事にとにかく就いてみるほうがはるかに健全な身の処し方だと思っています。「自分探し」に青春の多くの時間を使うことに意味がないとは言わないまでも、やはり程度問題だということです。小梅姐さんはそれをきちっと言ってくれた、そう思うのです。

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閑話休題。

ちょっと角度が違うのですが、今週は実は大きなテーマがありました。

でも、ここはいまどきの人たちには余り受けないとプロデューサーが考えたせいなのかどうか知りませんが、今週大きく取り上げられませんでした。

それは、修業とは何か、です。

私は、大学卒業後そのまま新卒でサラリーマンになったクチですから、いわゆる「職人・芸人」の世界についてたいそうなことを言える立場ではないことをまず述べておかねばなりませんが、こんな経験を持っています。

学生時代に中華レストランで1年間鍋洗いというアルバイトをしていました。そのレストランは四川料理でしたから四川鍋を大量に使います。料理ごとにどんどん替えますからこれらの鍋はものすごいペースでどんどん溜まります。もちろん、四草みたいないちばん後輩がこういう仕事をさせられるわけです。しかし、それでも足りない夕食どきなどには学生のアルバイトを雇ってしのいでいたんですね。

私は、毎日夕方の5時から8時まで3時間、これらの鍋をひたすら洗い続けたものです。それを365日やりました。

さて、ここで私が言いたいのは、この鍋洗いをやっただけで実は中華料理がある程度つくれるように(な気分に)なったということを述べたいのです。 というのは、毎日毎日鍋を洗うと言っても、もちろん時間によってはひまな時間もあります。そういうときには鍋洗い以外の雑用もさせられます。寸胴に鶏ガラやら牛・豚ガラやらをほうり込んでスープをつくったり、餃子を鍋に敷いて焼いたり、シュウマイをセイロで蒸したりなど、とにかく周辺雑作業をいろいろやるんです。

そうすると、料理の段取りや仕組み、何がどうなって、どのように仕上げられるかがよーくわかるようになります。それはイヤでも目にしますから、覚える気がなくても自然に体に身に付くという感じです(ここが肝心なことです)。そして、いちばんびっくりしたのは、料理をしているときの鍋やお玉の扱い方やそのリズム、とくに調味料を入れるリズム、塩、コショウなどのいわゆる「さしすせそ」、そしてラー油、ゴマ油そして仕上げのカタクリ等々の入れ方やそのタイミングなどを毎日毎日見続けていると、それらが自然に身に付いてくることです。

だから、雑用をどんどんこなしていくうちに、正規の料理のリズムやタイミングなど相当重要なことも含めて、恐らく私の印象では6割方料理が身に付けられるように感じました(ひょっとして間違っていたらプロの方、ごめんなさいですが)。ですから雑用だからと言っても決して料理を覚えられない「雑用」じゃないんです。それらを繰り返し見たり聞いたり触ったりすることによって、ものすごい学習量――ただし普通に言う頭で覚える学問の学習ではなく、体で覚えさせるという意味での学習量ですが――を積んでいることに気づかされます。つまりは、雑用で修業することは実はその職へのいちばんの近道を進んでいることに改めて思い知らされるのです。

それを昔の人はよーくわかっていたから、修業として最初は雑用をすべてさせたんだと思います。もちろん、残りの4割はいろいろとコツや秘伝があるのかもしれませんし、またその人の才能が発揮できる取り代(しろ)になるのでしょう。しかし、修業期間さえみっちりやれば、その仕事によって多少違うにしても恐らく6割近く――というより基礎と言ったほうがいいかもしれませんが、それを身につけることができる。それが、こういう仕事の特徴なのではないかと思っています。

今回の喜代美が掃除・洗濯などの雑用だけをする理由を、奈津子は「人に対する気配り」を覚えるため、そしてそれがお客さんを気持ちよくさせることにつながるという解説の仕方をしていました。もちろん、それもあることに異存はありません。

しかし、それ以上に恐らく落語家というものの体系を体にしみ込ませる効果が絶大だからこそ修業期間があるのではないか。そういう雑事をすることによって、落語家の日々の生活を体で吸収していく――一日のリズムを体感していく、落語家としての人との接し方を見ていく、ものの言いようになじんでいく、世間が落語家に抱く期待を知っていく等々――これらはとても大きな力を持っているはずなんです。だからこそ、草原兄さんは、喜代美に「落語家」と「落語」の違いを問いかけたということでしょう。

今週、この辺りをいろいろと喜代美に感じさせるドラマを期待していたのですが、残念ながらけいこのない修業は1か月ほどで終わりましたし、しかもきょう(12/1)の放送ではなんと早くも初高座に上がるという話です(ちょっとはしょり過ぎでは? と思わないでもない)。もう少しこの修業期間をじっくり見せてもらいたかったのですが……。それが今週のドラマを見ての感想です。

ともあれ落語家・徒然亭若狭はこれからです。来週も楽しみに見ていくことにします。

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