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2008年6月19日 (木)

『僕の彼女はサイボーグ』

クァク・ジェヨン監督作品(漢字では「郭在容」と書くんですね)です。彼の『猟奇的な彼女』や『ラブストーリー』はかなり好きな作品ですから、とにかく『僕の彼女はサイボーグ』は見ておこうと、久しぶりに劇場で観てきました。

作品の出来としては★勘定で3つぐらい(5つ満点)でしょうか。論理的に考えるととてもついていけない世界です。まあ、ある意味時間旅行をネタにしたメビウスの輪を映画にしてみたが、それに飽き足りず最後の最後でその輪から出られるようにしたということなのかもしれません。また、題名も「サイボーグ」というより「アンドロイド」だろう、と突っ込みたい人も多いのではないかと思いますが、サイボーグと言い張るのですから、ここではそれで書き進めていくこととします。

さて、とはいえこの映画は映像的にはかなり見ごたえがあります。その第1番目は、やはり綾瀬はるかでしょう。この女優がものすごい美女であることに圧倒されてしまいました。また、最初の登場シーンの肌にピタリとしたコスチュームに代表されるように、その抜群のボディラインの美しさに久々にうっとりとさせられました(笑)。まあ男性の多くの方々が、わたしと似たような思いをしたのではないでしょうか。正直言って演技を見る以前に彼女の姿・形だけ観るだけても、十分値打ちがありそうです。これが最初見てすぐの、いちばん強烈に感じたことでした。

2番目は、やはり東京大地震の映像でしょうか。これは近未来にあり得ることなので恐らくこんな感じになるのだろうな、などと妙に説得力を感じたものです。3番目は、タイムトラベルで彼女に連れていってもらう主人公ジロー(小出恵介)の子供時代の世界です。これはどう考えてもジローの年代と合わないとしか思えないのですが、それはそれとして美しい田舎の昭和の情景が映し出されています。

綾瀬はるかについては、私の場合、玉木宏が主演だったので一応見ていたテレビドラマ『鹿男あをによし』でその相手役として出ていたのが初お目見えでした。でも、あのドラマではすごい美人というより、ちょっとほんわかしたカワイイ系の女優さんというイメージでしかありませんでした。というより、さほど強い印象を受ける女優さんではありませんでしたね。しかし、この『僕の彼女はサイボーグ』での綾瀬はるかは、上記したようにその美女ぶりにすっかり度肝を抜かれ、今やその落差の大きい分、印象は強烈なものとなりました。

正直、演技的に上野樹里や蒼井優のような特別際立ったものは感じませんでしたが、ちょっと視線が独特で、瞳ではなく瞳の奥15センチくらい後ろのほうから見ているような錯角を覚える表情をよくします。それがとても謎めいていて、とくにこの映画のような独特な無表情さが必要となるような役柄にはうまくマッチしていたようにも感じました。

ところでこれから観られる方には、こんなことをお薦めしておきます。「彼女」こと綾瀬はるかの眼と表情によく注意することです。とくにまばたきをするかしないか、涙を流すか流さないか。それを意識に入れておいて観ていくと最後にそれがどういう意味の構成になっていたかがわかるようになっています。

ただし、ストーリー自体はかなりめちゃくちゃなタイムトラベルものです。時空間の構成が1回見ただけではよくわからないかもしれません。でも、クァク監督作品らしく最後にはラブストーリーとして終わるようにはなっています。論理性をまったく無視してみれば娯楽作品としておもしろく見られる方もいるもしれませんが、時空間の構成を多少考えるタイプなら、かなり突っ込みどころ満載で、中には呆れてものも言えないという人が出てくる可能性があります(笑)。そんな映画です。

おっと、もちろん綾瀬はるかのファンなら文句なくお薦めの映画ではあります。

ここからネタバレ

クァク監督はそれまでの作品でもちょいちょい見せてきたように、スカトロ趣味とタイムトラベル趣味があります。今回もきっちりそれらがあって笑ってしまいました。

主人公のジローが酔って、自分の吐いたゲロに顔を突っ込まされるシーン、あるいはジローの友人が中東のある民族の変わった食習慣としてある家畜のうんこを食べるという蘊蓄(うんちく)をランチの席で自慢げにしゃぺるシーンなどはまさにクァク監督の面目躍如?たるものがありました。とにかくゲロとウンコは彼の作品にはつきものですから(笑)。そして、もちろんこの映画の題名にあるサイボーグは未来からやってきたのですから、全編これタイムトラベルSFという仕立てとなっています。監督にとっては撮ってみたかった映画の一つであったに違いありません。

ざっと物語を追ってみます。

2007年11月22日は、主人公の理工系の大学生、北村ジロー(小出恵介)の20歳の誕生日です。彼女もいない彼は、例年どおり自分に対するプレゼントをデパートで購入しています。女性アンドロイドのフィギュアのようです。勘定を済ませてデパートを出ようと歩いていると、どうもだれかから見られている感じがします。その視線を感じる方向に目を向けると、フィギュアと同じようなコスチュームを着た未来人のようなスタイル抜群の若い女性(綾瀬はるか)がこちらをしきりに見ていることに気づきます。それが、彼女との出逢いでした。

彼女とは初対面なのに、まるで恋仲であるかのように親しく接してくるものですからジローとて嬉しくないはずがありません。その夜は二人で愉快にすごします。そして、深夜彼女はさよならを告げて去っていきます。別れ際に記念のマスコットをジローに手渡し、「私は100年以上先の未来から来たの」と告げて。それは、まるで夢のような一夜でありました。

その後は彼女に再会することもなく、いつものようにキャンパスライフが続きます。ただ、ジローは次の誕生日、つまり2008年11月22日の誕生日にまた彼女と再会できるのではないか、とひそかに期待するものがありました。

いよいよ、誕生日当日となりました。ことしの自分に対するプレゼントは腕時計です。昨年と同じデパートだったのですが、残念ながら彼女は現れません。でも、ジローはいつものあのレストランでスパゲティを食べています。すると、突然昨年とまったく同じようなタイミングで彼女が現れたではありませんか。びっくりするジロー。彼女はケーキを贈り、ハッピーバースデイの歌を歌い祝ってくれます。でも、このたびの彼女は一年前の彼女とどこか違う感じがします。顔かたちは同じなのに、どこか機械的なのです。

と、そのときにわかに店内を銃声が響き渡ります。それまでカウンターでウィスキーをしきりにあおっていた中年――人生に絶望したらしい1人の男がマシンガンを手に撃ちまくっているのです。べろべろに酔っていて手がつけられない状態です。やがて、彼女は反撃に出ます。サイボーグだから無敵です。なんなく乱射男を外に放り投げてジローも怪我一つせずに済んだのでした。

二人はジローの自宅に着くと彼女の目が突然映写機となり、そこに立体動画があらわれます。そこには、ジローの62年後の未来の自分が映し出されていました。そして、未来のジローが今のジローにこう言うのです。

「おまえは、きょう彼女に会えてうれしかっただろう。でも、本当は彼女は来なかったのじゃ。それで、わたしはあの乱射男の銃に撃たれて両手を失ってしまった。」
確かに映像の83歳の老人・ジローは両手が機械化されたサイボーグ姿です。

以下、その映像によってこんなことがわかります。 乱射事件の1週間前に購入したロトくじに当たって大金持ちとなり、その資金を利用して60年以上かけてこのサイボーグ彼女をつくったこと。そのモデルは、2007年に出会った彼女だったこと。そして、彼女をこの2008年に送ったのは、自分の両手を失わずに済むよう今のジローを守るためだったこと、などです。これらが今のジローに明かされます。つまり、ここで時空は本来あった時空から変わったということですね。

もう一度ここで整理します。本来は2008年11月22日に彼女は来なかったのです。だから、ジローはこの日以降、両手を失う障害者となってしまっていたのです。そして、そのまま63年の歳月をかけてサイボーグ彼女をつくったのでした。そして、そのころには確立していたタイムトラベル技術を利用して、彼女をこの2008年に送り出した、とまあこういうわけです。

最後に未来のジローは、不気味なことをいいます。「歴史は、本来あったことをねじ曲げると元に戻ろうとするから、これからいろいろと悲惨な目に遭うだろう」と。したがって、未来のジローも経験したことのない災厄・災難に遭うことを現代のジローに予言してその映像は終わるのです。

そうすると、ここでまず2008年に障害者となったジローの生きる世界が一つあることがわかります。これを第1時空とします。並行宇宙の考え方です。この第1時空でのジローは過去である2008年にサイボーグ彼女を送り出してから死ぬという一生を終えたことがわかります。

さて、現在に戻りましょう。第1時空での災難(乱射事件)から、このサイボーグ彼女によって助けられたジローが生き続ける時空がここから分岐することになります。これを第2時空とします。われわれが観た映画の内容は、この第2時空の物語です。

そこでは、ジローのバイト先の目の前の道路でクルマに轢かれるはずの幼い男の子が彼女によって助けられたり、あるいは火事で焼死するはずの子供たちが助けられたり、また女子高生と女性教師が校内に閉じ込められ殺されたはずの事件では、犯人を彼女が投げ飛ばすことによって被害者らが救出されたりする世界=第2時空です。

これらは第1時空でジローがニュース等で知ってあまりの痛ましさに何とか救いたいと考えていた事件でした。それをサイボーグ彼女にあらかじめプログラムしておいたから救うことができた、という設定です。でも、だれでも気づくように第1時空のジローは、両手がないのですからファストフード店でバイトなどできないはずなのですが、まあそこはお愛嬌ということにしておきます(笑)。

そして、やはり未来のジローによってプログラムされていたものに、ジローの幼少時代への時間旅行があります。この旅で出会う田舎の祭の情景やサクラが満開のシーンなどはとても美しく、また駄菓子屋なども非常に懐かしさを覚えさせるものがありました。

ただ、1987年が誕生日と思われるジローが小学一年生のころだったとすると、それは1993年前後となります。 そうすると、上記したような情景が本当にあったのだろうか、という疑問が出てきます。私の感覚からいうと、どうしたって昭和30年から40年代くらいまでの情景でしたからね(とくにズボン、あんなに長いズボンを1990年代前半の子供たちがはいていましたかねぇ?それから、もう一つ宝物を入れた缶の箱、あれは相当昔のものでしょう)。確かに都会に比べて相当の田舎に行くと文化的に年代がややずれることはわかるのですが、この辺の時代考証をどの程度にしたのかやや疑問です。でも、これもきれいなシーンでしたから、よしとしておきましょう(笑)。

そうこうするうちに、ジローは当然のようにサイボーグである彼女に恋してしまいます。そして、その思いを告げても「彼女」には人間と同じようには伝わりません。多少人間になじむようプログラミングされていたようなことを言っていましたが、まだ日は浅いのですから当たり前です。しかし、毎日一緒に暮らすわけですから、そういうことがとても辛くなってきます。ついついイライラすることも多く、ある日酔いも手伝って別れを宣言します。二度とおれの目の前にあらわれるな、と厳命して別れるのです。

ここは、ストーリーとして極めて大事なところなのですが演出のせいなのか、あるいはジロー役の小出恵介の演技がもう一つだったのか、どうもこちらに訴えるものをあまり感じませんでした。ここは、ラブストーリーとしてサイボーグに恋する人間の苦悩が強調されなくてはいけません。そうしてこそ後の震災でのサイボーグ彼女とのやりとりがいっそう美しくなるという構造のはずですから。小出恵介が『猟奇的な彼女』でのチャ・テヒョン的役割であることは明らかですが、ここでの一連のジローの演技にはやや物足りなさを感じてしまいました。

さあ、いよいよ東京大地震です。 先日も中国四川地震、岩手・宮城内陸地震と立て続けに起きたばかりですから、この映画の地震のシーンはとても絵そらごととして観ることはできませんでした。新宿近辺の高層ビルがどんどん崩れ落ちる姿は、まさにこんな感じなんだろうなぁ、と身につまされます。 そして、ジローが震災で命を落としそうになったちょうどそのとき、彼女は突然現れて救い出します。予定どおりです。

しかも、ジローを助けるために彼女は自分を犠牲にします。機械でできている彼女は、重くのしかかる瓦れきのなかで自分の下半身をあきらめます。下半身から上半身を引きちぎり、上半身だけで移動してジローの側に行きます。そして、地割れの中にまさに落ちようとしていたジローを助けるのです。と、彼女はまたもや瓦れきに押しつぶされ息絶えます――じゃなくて機械停止します。

さて、この後助かったジローがこの瓦れきのなかから彼女の体を何とか捜し出して修理することに成功します。幸い彼女の記憶は2008年のあの日からのものがきちんと残っていました。そして、ジローはやはり2070年、83歳ころに満ち足りた気持ちで彼女に看取られ死を迎えることができたのです。めでたし、めでたし。

えっ、こんなんで終わりなの、ちょっと物足りないかな、とか思っていると、おやおやまだ続きがありました(クァク監督作品は何と言っても最後のどんでん返しにおもしろさがあるのですから、そう来なくちゃね(^-^))。

まだ、第2時空です。それから60年以上が経過します。サイボーグ彼女も機械的寿命が尽きてしまったようです。

2133年、彼女の体と83歳のジローの人形?が、あるオークションで出品されています。ここで、サイボーグ彼女とうり二つな「生身の」女性が登場します。このサイボーグ彼女を見て、あまりに自分にそっくりであることにびっくりします。そして、自分の誕生日プレゼントとしてこのサイボーグを落札するのです。やがて、記憶だけはそのままだったサイボーグの脳細胞(人工ニューロン)と接続したこの生身の彼女は、サイボーグ彼女が経験した記憶すべてを自分のものとします。

さあ、生身の彼女はこの新たな記憶によって、すっかりジローに恋してしまいます。ついつい好奇心も手伝って、2008年のサイボーグに出会う前の状態のジローに会いたくなり、2007年の11月22日に時間旅行します。つまり、振りだしに戻る、ってやつですね。

でも、これはすごくおかしいのです。

というのは、第1時空にしろ第2時空にしろそれら時空での2007年11月22日には、すでに未来の彼女がやってきているからです。ですから、ここでまた新たに2007年に行けば、当然その未来彼女1号がそこにいるはずで、いまここでタイムトラベルしてきた彼女は2号となります。つまり、彼女が二人とならなければいけないのです。それはそれで並行宇宙では認められています。自分のいる過去に戻ることはできても、過去の自分と同一化することはできないのです。

同一化できないことは、例のマスコットのことを考えれば容易に理解できます。2133年の彼女にとって、あのマスコットはオークションのおまけです。サイボーグの落札とともにジローの遺品として入手したものです。ところが、あのマスコットをジローが手に入れたのは2007年の11月22日に彼女からジローに渡されたものでもあります。つまり、ここでループしてしまってマスコットの起源がどこにもまったくありません。あり得ない所以です。

ところが、ストーリーの流れとしては振りだしに戻らないとストーリーが成り立たなくなります。そのようにストーリーをつくっているからなのですが、ここにトリックが仕掛けられているということでしょう。つまり、ストーリーの自然な流れを追うと、時空間の整合性がとれなくなり、時空間の整合性を図ろうとするとストーリーが成り立たなくなる、というわけです。あえて両者が矛盾するようにつくられているのだと思います。少なくとも、私の頭ではこういうふうに考えるしかありません。

この映画は、どうやらエッシャーのだまし絵のように、あるいはクラインの瓶、メビウスの輪のように入口と出口が同じという概念を映画化しようとして作成したように見えます。以前、やはり韓国映画の『イルマーレ』でも感じたのですが韓国の映画監督は、時間旅行をテーマにするとありきたりのものでなく、このような無限ループを描くようなものにしていく傾向が感じられます。普通のタイムトラベルものでもいい作品はできると思うのに、ちょっと不思議です。

それはともかく、ここで無限ループということならそういう作り方もあっていいかもね、と考えたのですが、実はこの後がまだ続くのです。やれやれ(^^;)。

最後の最後に無限ループを解除することでも考えたんでしょうか、2133年の彼女が2007年のジローに会ってから、その後一たんは元の2133年に戻ろうとしたはずなのに(それはモノローグで語られます)急遽変更! あの大地震でサイボーグ彼女を掘り出したシーンのジローの傍らにあらわれるのです。そしてこうつぶやきます。

「ここで私は彼と一緒に生きていく」

ええーっ!!! 何、それーっ!

せっかく無限ループする時空映画という、それなりのコンセプトとして理解したつもりになっていたのに、いやもう、これではさっぱりワヤですわ(笑)。ハッピーエンドということなんでしょうが、さすがにここまで来るとやはりついていけません。

いや、もちろんいいんですよ。その後、ジローはサイボーグ彼女の必要性がなくなったので修理もせず、生身の彼女と楽しく暮らしましたとさ。チャン、チャン!! 何だか、真面目に考えてきたのがばかばかしくなります。もうどうとでも好きにしなさい、ってなところです(^_^)/~。

でも、きれいな綾瀬はるかは一見に値します、いや、ただそれだけの映画かもしれません、「この映画」=「綾瀬はるかのプロモーション・ムービー」! はははっ。

おまけ:2133年の生身の彼女が2007年のジローに会いに来たのですが、ジローの自宅のある屋上に着いたとき、なぜ石を投げて窓ガラスを割ったのか。その理由がさっぱりわかりません。どなたか分かる方、教えてください。

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コメント

お久しぶりです。
この映画、劇場に観に行こうかと思ったほど私のツボ設定なのですが、評判があまりよくなかったのでそのままになっています。

たるぼっとさんが☆3つなら観て見ようかしら。
私にとってたるぼっとさんは本当に数少ないネットで内容のあるやりとりした方なので、ここに新しい記事があると嬉しいです。

投稿: たこ麗子 | 2009年2月11日 (水) 00:23

クァク監督は、とにかく強い女が好きなんでしょうね。「猟奇的」や「僕の彼女を紹介します」そしてこの「サイボーグ」とすべて男どもをやっつける美女、おおむね男より気も腕力も強い女性がヒロインですからね。「クラシック」だけ例外ですけど。

かく言う私もそういう傾向があるのかもしれません。ご存じないでしょうが、中国のテレビドラマ『射鵰英雄伝』に登場するめちゃくちゃ強い"黄蓉"にも惹かれ、それで女優・周迅のファンになったくらいでしたから。

女性から見てこういう強い女というのは好き嫌いがあるような気もしますが果たして麗子さんはどうなんでしょう。暇つぶしがてら一度ご覧になってもいいかもしれません。麗子さんのこの映画の時空理解がどんなものか、一度聞かせてもらいたい気もしますし……(笑)。

投稿: たるぼっと | 2009年2月12日 (木) 18:23

お久しぶりです。観ました。
過去に干渉しちゃいけない、といいながら二郎のまわりは干渉しまくりなのは、過去に干渉した結果二郎の身に何かがあってはいけない、という意味なんだろうと思います。
この彼女の法は二郎至上主義。ラウルを鍋にしたのも何か理由があったのかもしれない。
じゃなきゃひどすぎるだろ、エピソードとして。

バイト先ではねられた子どもですが、レストランで流れ弾に当たったあと毎日ニュースばかり見ていた彼が、以前からバイトしていた店の前ではねられた子供のことを知ったとすればありかなと思いました。
しかしですね。

1.震災後サイボーグを開発していっぱい彼女を作った

過去に一体も送った気配がないので2008年に出会えない

2.最初に現れた彼女は未来から来た人間の彼女

震災後一緒になるならサイボーグを作る必要がない

そして最大の謎は

3.ロトが当たらない

賞金がないと開発できない

なんで当たらないんだよ、ロト。

結論:この映画は行きずりの女の子と窃盗、器物破損などにかかわったひとりものが翌年にレストランで見た夢。

監督は叙情を話の整合性以上に重視する人ですね。
“僕の彼女を紹介します”は原作があったので伏線を回収できたんだろうなと思いました。

投稿: たこ麗子 | 2009年7月 8日 (水) 18:34

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